お疲れ様です。
柾木です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回は過去のサハラマラソン経験者の方が自主作成した「金華山信長100マイルレース」を完走した時の話をします。
100マイルって日本ではなかなか馴染みがないですが、分かりやすくキロに直すと160kmとなります。もともと2024年の目標の一つとして設定していたのですが、まさかサハラマラソンに挑戦する前に達成できるとは夢にも思っていませんでした。
それまで自分が走った最長の距離はウルトラマラソンで100km、未舗装の道を走るトレイルランニングで80kmなので100マイルは完全に未知の領域でした。未知どころか今まで限界ギリギリなんとか完走してきた自分の限界の倍近くある距離。我ながらよく完走できたなと思います。
全てが自分の経験の外にあり、何が起こるか予測もできない挑戦をどのようなメンタルで乗り越えれたのかを今回の記事のメインとして書きます。
初100マイル完走に必要な考え方
この経験で得たメンタルをコントロールする力は走る時だけではなく、日常生活にも役立っています。肉体的にも精神的にも限界近くまで追い込まれることによって、普通の生活の中で生じるストレス程度ではほぼ動じない強靭なハートを手に入れることができます。
ランニング初心者の自分が考える100マイル完走するために役立った考え方を6つのポイントにまとめてみたので順番に紹介していきます。
①まだ〜km残っている。ではなく、もう〜km走った。と考える
100マイルともなると残り距離のことばかり考えると精神が持ちません。ぼくもこの時は明らかな練習不足で元々フルマラソンを完走するくらいの体しか作れていなかったので、3周目を終える頃には既に無視できないくらいの疲労や痛みが出てきていました。
残り7周を精神力だけで乗り越えるなんてまともに考えていたら心が折れてしまいます。
なのでまだ○○kmしか走っていないではなく、もう○○kmも走っている、確実にゴールは近づいている。くらいのぼんやりした思考でちょうど良いです。
また細かく自分の中でゴールを設定するのも有効でした。今回は同じコースを10周するのですが、自分の中で仮ゴールを3周に設定します。3周が終わったら次の3周をゴール設定する。そういう風に刻んでカウントすると精神的にかなり負担が減りました。
②辛い時ほど、目の前の一歩に集中する
どんな小細工をして誤魔化しても辛いものは辛いです。肉体的な痛みは我慢できるが精神的に落ち込んでくると本当に辛い。特に真っ暗闇に包まれた夜中になると絶望が襲い掛かってきます。
そういう時はもう余計なことは考えずに、目の前の一歩のみに集中します。走っているか歩いているかもどちらでもいいです。とにかく頭を空っぽにして一歩ずつ前に進むことだけ考える。経験的に精神はどれだけ落ち込んでいても必ず浮上する時がきます。それが来るまではひたすら我慢するしかありません。
③全ての事象をポジティブ変換して脳を騙す
これは文字通り。自分で笑ってしまうくらいポジティブ変換していって丁度いい。思考は放っておくとネガティブに流れていくので意識的に変換する必要があります。
④ポジティブな独り言を割と大きな声で呟く
③で脳内でポジティブ変換した言葉を実際に声に出して呟く。いや呟くというよりはむしろ自分に対して喋りかける。とても苦しい状況なら(だいたい常にとても苦しい)声に出して「今、めっちゃ楽しい最高の気分だ!!」と言う。足が死ぬほど痛いなら「足がいい感じに熟成してる!いいぞいいぞ」と声に出す。
周りに人がいたらちょっと頭がおかしい人に見えるかもしれませんが、そんなことを気にしている場合ではありません。
100マイルもの距離を走ると、体のいたるところが激痛に襲われ、脳からは今すぐに体を動かすのをやめて休むようにと緊急シグナルが常に発信されるようになります。その生存本能からくる危険信号を意志の力でねじ伏せます。自分の声を一番近くで聞いているのは自分自身なので、独り言によってポジティブな言葉を自分の聞かせ続け脳を騙すイメージですね。
⑤完走するモチベーションを自分以外の他者に紐つける
これは人によるだろうけど、自分の場合は限界を超えるような挑戦をする時は、やる意義を他者に理由づけするようにしています。そうでないと途中で諦めてしまうからです。
元々自分に甘くて弱い人間なので、自分のためにという理由だけではやり通せません。
今までのレースも今すぐに逃げ出したいようなめちゃくちゃ辛い状況でも自分を信じて応援してくれる誰かがいるから、なんとかやってこれました。今回の100マイルもそうです。正直最後の1周は諦めてリタイアするつもりでした。でもありがたいことに沢山の人に応援してもらったことで、心に火がついたんです。だから諦めずにゴールできた。
極端なことをいうと応援してくれる人は例は1人でもいいです。
むしろ1人でも真剣に応援してくれる人がいるなら、どれだけ辛い挑戦であっても全力で挑む価値は十分あると思います。
⑥痛みを拒絶せずにお友達になる
ある程度長い距離を走ると痛みが出ないわけがありません。やめる理由を痛みに求めるとあっという間に心が折れてしまいます。もちろん骨折や重度の故障が伴う痛みがあれば即リタイアすべきですが。
でも最近自分を人体実験してみて思うんですが、人間って想像以上に丈夫にできてます。自分が思っている耐えれる痛みの限界値は、実はかなり余裕を持って設定されているように感じます。勇気を持って痛みの限界の壁を突破してしまうと、少しずつではあるけど痛みの閾値が上がるのも体感しています。人間はどんな環境でも慣れることができる生き物なので、次走る時には前までは限界だと思っていた痛みにも耐えることができるようになっている。
一度ボコボコにやられた主人公が以前より強くなって復活し、強敵を返り討ちにするドラゴンボール理論は正しいのです。
レース概要
上のマップは実際にレース前に配布されていたものです。これ見ただけでは難解すぎて訳が分かりません。笑 自主開催レースとなるので、コースマッピングなどはしっかりとしたものがありません。コースを覚えるまでは3週くらいかかりました。
<第1回 金華山信長トレイル100マイル>
日時 2024年1月6日 朝7時集合
集合場所 岐阜市若宮1-8
粕森公園
制限時間 36時間
(走りたければ何時間でも大丈夫です。)
距離
1周16km獲得標高750mのコースを10周
一周約3時間想定
ただ160kmを走るのではなく16kmのコースを10周するのでメンタル的にもかなり追い詰められました。
今回のコースは金華山を登って岐阜城までのルートも入っているので、初めの2周目くらいまでは観光も楽しむことができます。でも周回を重ねるごとに景色にも飽きてきますし、疲れてきてそれどころではなくなりました。
コースが少しややこしいこともあり、1周目は参加者全員で走りました。スタートしたのが朝の7時だったのでこの時はまだ観光客の姿もありません。
直前にこのレース用にネット注文した靴のサイズが大きすぎて足に合わなかったため、仕方なく練習で使用していたワラーチで走り始めました。これが後に大変なことになるとはこの時は夢にも思っていませんでした。流石に極寒の岐阜を走るのにワラーチはぼくだけだったので他の参加者の方々にかなり驚かれました。笑
この時の岐阜の温度が一桁台でかなり寒かったですね。スタートしてしばらくは足の感覚が麻痺していました。
1回目の岐阜城到着。
金華山を一度山頂まで登りその後一気に下まで下山してまた登るを繰り返します。
岐阜城を見たのは初めてだったので1周目に見た時は感動しました。
コースは半分以上がロードでした。普通に靴を履いていれば走りやすいコースなのでしょうかぼくはワラーチを履いていたので思った以上に足へのダメージが大きかったです。
43km地点、スタートして6時間経過。
雨が降り出してきたことによって寒さが倍増してきます。
こういう極限に寒い時に飲む暖かくて甘い飲み物は本当に美味い!!五臓六腑に染み渡ります。
コースを一周するたびにゼッケンの1から10の数字に丸をつけていきます。
3周目、48km地点到着。
写真では分かりずらいですが、すでに足が岩で何箇所か切れて血が出ています。金華山の路面がかなりささくれ立った岩肌なので、足の側面が傷だらけになってきます。
日が暮れるとライトなしでは何も見えません。猪がとても多い山らしいので、猪避けとしてスマホで音楽を流しながら走っていました。
4周目(64km)終了。休憩場所として用意してもらっていたハイエースの中での一枚。
ちょっとグロいので苦手な方がいたらすいません。この時点まではなんとかワラーチで頑張っていたのですが、怪我で足も血まみれになってました。それと足の裏へのダメージも深刻で痛みもかなり出てきていたので5周目から靴で行くことにしました。
サイズを間違えて普通の状態ではぶかぶかで履けなかった靴を念の為に持ってきていて本当によかったです。足が傷や炎症で腫れていたのもあって、この時に履いてみると意外とジャストサイズで普通に履けました。笑 まぁ結果オーライということにしておきましょう。
86km地点、時刻は22:40頃。
もう相当ボロボロですがまだ半分地点。岐阜城も5回目なのでもう見るだけでゲンナリしてます。
5周目の岐阜城近くの自販機で暖かいココアを買って小休憩。本当はゆっくり休憩したかったが気温がさらに下がって2℃ほどしかなく、あまり長く止まって休憩していると体が冷えすぎて低体温症になる危険があるのですぐに下山する。
6周目終了で走行距離96km、時間は深夜一時過ぎ。
道中あまりにも眠くて意識を失って倒れそうになる。コースは普通に登山道を含んでいて、山道で道を踏み外すとそのまま崖の下に転落してしまう箇所も多々ある。このまま無理して進むと命の危険も感じたので少し仮眠することに。
幸いこの休憩ポイントの車は暖房をつけることができるので寒さは凌げます。さらに寝袋なども用意してくれていたので有り難く使わせてもらいました。
休憩ポイントの車の中に用意してくれていた吉野家の牛すじに命を救われました。疲れて冷え切った状態で飲むと最高に美味しかったです。この牛すじが無ければ完走することができなかったです。
極度の疲労があったにも関わらずほとんど眠れず。。。ただ疲れすぎていてなかなか起き上がることもできずに予定よりも時間を使ってしまいました。予定では2時半に出発するつもりが3時半までゴロゴロしました。でもお陰で少し回復。
この時点で残り4周(62km)で制限時間を考えるとすぐに出発してもなんとかギリギリゴールできるかどうかのタイミングでした。外は凍りつくほどの極寒。暖かい車から出てまた走り出すことが死ぬほど嫌でしたがここは気合いで外に飛び出しました。
8周目(126km)通過し、残り2周!!!
太陽が昇ると気温も上がりますし、明るいだけで気持ち的だいぶ楽になります。
途中で美味しい焼き芋の差し入れを頂きました。エイドステーションとして車を用意してくださったり差し入れを持って来てくれたりと本当にいい人しかいません。焼き芋美味しかった!
全員ではないですが、参加メンバーの方々。それぞれとんでもない経歴や経験をお持ちです。
トライアスロンの総合優勝者だったり、ドバイに住んでたり、世界中のアドベンチャーレースで走っていたりとサハラマラソンに出ることがなければ恐らく一生出会うことがなかった人たちばかり。このご縁には本当に感謝です。
さていよいよ10周目の岐阜城を後にして最後の下りへ。時刻は16時頃。
一日以上ほぼ寝ずに動いているので意識も朦朧として、体が鉛の用に重たくなっています。足も激痛を伴っており一歩歩くだけでも億劫な状態。
もう精神力だけで体を動かしている感じです。
完走直後で放心状態になっています。笑
定期的に小休憩をしていたのと自分なりに無理せずに進めるペースを維持したお陰で、レース後に全く動けなくなるというほどのダメージはありませんでした。
このあとすぐに完走後の感想などの動画を仲間にインタビュー形式で撮影してもらえました。
その動画の様子は別途YouTubeの方でもアップしていきます。
レース後は近くの銭湯まで車で送ってもらい、さっぱりしたあとは参加メンバーの方にささやかな祝勝会を開催してもらえました。岐阜駅の中のラーメン屋さんでご飯を食べたんですけど、この時のラーメンは世界一美味しかったですね。
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