お疲れ様です。
柾木です。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
ぼくはサハラマラソンに向けてひたすら走っております。
今回の冒頭小話はラジオ出演決まった!というお話をさせていただきます。
仲良くさせて頂いているパートナー会社の方にラジオ番組のディレクターの知り合いがいて、出演交渉してもらったら快く承諾していただけました。ラジオ出演は人生初体験なのでとても楽しみです。
数年前までまさか自分がラジオ出演するなど夢にも思っていませんでした。この出演をきっかけに会社のことや自分の挑戦がより広く知ってもらえればいいなと考えています。
また他の媒体などへの露出のきっかけになれば面白いなぁと勝手に期待を膨らませています。笑 そして何よりもこのご縁を繋いでくださったパートナー会社の方には本当に感謝しかありません。
さて話を本題へ戻します。
今回の丹後100kmウルトラマラソンは一言でいうと、自分の精神的限界の壁を破ってより強い自分に出会えた大会でした。まだ自分の力の底は見えていない、そう実感できたことが最大の収穫です。
完走タイム
相変わらずタイムは完走ギリギリ。制限時間が14時間だったので13分くらいしか余裕がなかったです。
自身初の100kmウルトラマラソンが2023年4月で約14時間20分で完走だったので、5ヶ月でタイムは33分ほど縮まったことになります。ただ自分的にはタイム以上に成長を実感できました。
今回の大会は最高気温も34.2℃と高くコースも標高が1250m、そして完走率も48%とかなり厳しいレースでした。体の状態も万全とは言い難く、2週間前に走ったトレランレースのダメージも残っていました。
また足の指に痛みが残っている上に爪が何枚か剥がれかけていたので、靴が履けなかったため本番は「ワラーチ」で挑む事にしました。2ヶ月ほど前から練習では履いていましたが、100kmもの長距離で使用するのはもちろん初めてで、体がどのようなダメージを負うかも未知数でした。
客観的に見ると無謀な挑戦でしたが、自分としては割と楽しみな挑戦でもありました。どうせやるなら楽しまないと損なのでこの状況も思いっきり楽しんでしまえ!と逆に腹を括りました。
後述しますが、完全に心が折れてしまった状態から復活し、完走できたので自分としてはタイム以上に価値がある大会となりました。
完走メダルはいい感じ
デザインもですが、ずっしりと重くて存在感があります。
完走メダルの下の箱は、大会前日のイベントの抽選大会で当たった梨です(めっちゃ美味しかった)
そもそも早くゴールしないと家に帰れなかった!笑
レース自体が遠方のため自宅へ帰るために乗る最終列車の時間がめちゃくちゃ早いんです。18:38分現地発の電車に乗らないと家に帰れませんでした。笑
ちなみに完走ギリギリだと帰れません。野宿か漫画喫茶などで宿泊する必要が出てきます。これもある意味早く走らないといけないというプレッシャーに繋がりました。結果的になんとか完走はできたものの結局その日は自宅に帰れず、福知山の漫画喫茶で一泊して翌日帰宅することになりましたが。
長距離レースは都心部から離れた地域で行われることが多く、前泊だけではなく後泊の計画もしっかり立てておかないと、レース後に自宅に帰らずそのまま出勤するということも起こりかねません。今回もたまたま翌日休みを取っていたのでなんとかなりましたが正直危なかったですね。あとはシンプルに体へのダメージも考えると100km以上のレースだとゴールした翌日は休みじゃないと辛いです。。。
前日イベントの抽選会で梨が当たる
レースのスタート地点であるアミティ丹後で前日イベントが行われていました。
本来行く予定がなかったんですが、事前配送で受け取れなかったゼッケンをもらいに15時間頃現地到着。ちょうどそのタイミングでイベントの抽選会が始まり、どうせならと配っていた整理券をもらいました。
整理券の数には限りがあったのですが、運よくラスト一枚をゲット。さらに奇跡が起きて4等が当たり、地元で取れた美味しい梨1ケースが当たりました。今までこういう抽選会などに当たったことがなかったのでめっちゃ嬉しかったですね。
ただし公共交通機関で来ているぼくにとってはこの梨がとんでもない荷物となりました。
まぁまぁ大きな段ボールに入っていて、これをずっと荷物として持ちながら行動することになったので割と大変でした。
抽選に当たったのはとても嬉しかったのですが、自宅に送付して欲しかった。。。笑 いやいや、せっかく美味しい梨を頂いたのに文句を言ってはいけませんね。大会運営の皆様本当にありがとうございました!
前泊は何にもないバンガローで
何もないって大袈裟じゃなくてリアルに何もなかったです。笑
既に普通の宿は予約でいっぱいだったので、仕方なく海辺のバンガローS(4.5畳)を利用しました。利用させていただいたバンガローのコンセプトが「何もないことが最高の贅沢だ」的なものだったので、部屋にはクーラーとコンセントだけしかありませんでしたね。笑
雑魚寝だと流石に眠れないと思ったので布団はレンタルしました。
本番前の体の状態
この大会の2週間前に走った京都グランドトラバース59kmのダメージが残っていて、両足の違和感が取れませんでした。特に右足かかと、左足の甲に鈍い痛みがある状態で本番を迎えました。
100km以上の超長距離を走る時に足に違和感がある状態は望ましくありません。小さな違和感も100キロも走るととんでもない激痛に変わります。ただしもうどうすることもできないので、覚悟を決めて走るしか選択肢はありませんでした。さらに痛みがある箇所を守ろうとして他の場所も痛めるのは確実でした。
レース前日はほとんど眠れず
いつものレース前の悪い癖で、色々考えてしまってほとんど眠れませんでした。おそらく2時間ほどしか寝てないと思います。
ウルトラマラソンはメンタルコントロールがとても大切なので、本来であれば睡眠不足は大敵です。寝不足だと、普通の日常生活でさえ思考がネガティブになります。それが極限状態だと余計に悪影響を及ぼすのは必須。
今回は深刻な寝不足だったので、レース中はより細かなメンタルコントロールが必要でした。
いよいよスタート!
100kmの部のスタート時間は4時20分・30分・40分の3つに分かれており、ぼくは4時40分スタートでした。辺りはまだ真っ暗で、街の薄暗い街灯を頼りに走り出します。自分は付けていませんでしたが何人かヘッドライトを持ってきている人もいました。
今回は人のヘッドライトの明かりに助けれらた部分もあったので、次出る時は自分のライト持っていこうかなと考えています。
7kmくらい走ったところで日が昇り始めました。まだ気温もそこまであがっておらずまだまだ序盤だったので気持ちよく走れていました。
日が出てからはとにかく暑い!!
スタートして日が昇るまでは気持ちよく走れたのですが、昼くらいから気温がどんどん上がっていき次第に地獄のような暑さに。噂には聞いていましたがマラソンを走る温度ではありません。
チェックポイントなど各所には大きなバケツやプールに水が用意されて、選手たちはそれを頭から被って体温を下げます。もうみんな体がびしゃびしゃになることなどお構いなしです。笑 そうしていても熱中症などでリタイアしていく選手が後を立ちませんでした。こういうときワラーチだといくら足が濡れても全く問題ないので人一倍水を浴びていました。笑
暑さもさることながら日差しもとても強かったのでめちゃくちゃ日焼けしましたね。夏のレースはいつも日焼け止めを塗るのを忘れて後悔してます。
37km地点超えたあたりから違和感が出始める
29.5km地点の第一関門を突破してしばらくすると、走る前に感じていた足の違和感が痛みに変わってきました。
やはり自分の走力や体的にはフルマラソンをやっと走りきれるくらい(しかもそんなに早くない)でしかないんだなと痛感。ただ痛いけどまだ我慢して走れるレベルでした。ポジティブ変換するとフルマラソンが走れる走力があれば100kのウルトラマラソンも完走できるということでもあります!
コース上はほぼ日陰がなく、強烈に降り注ぐ日光を遮るものがほとんどありません。なので普通に走っていればどんどん体温は上がっていくので、体温調節が非常に難しかったです。エイドステーションに行くたびにかぶり水をしてLサイズのジップロックに氷を入れてもらい、次のエイドまでなんとか耐えるを繰り返していました。
ジップロックの氷は首筋に当てたり、脇の下に挟んだりと体温を下げるのに使います。氷が解けてくると冷たい水を頭や顔にかけていました。時にはそのまま飲んで水分補給にも活用してましたね。冷たいのですごく美味しく感じられるんです。
ただレース終盤で気付いたんですがこの配られている氷は業務用で飲んじゃいけないやつでした。笑 まぁお腹を下すこともなかったので結果オーライですね!!
第2関門 54.5km地点 関門13分前通過
まだ第二関門なのに、この時点で割とギリギリ。関門時間にはこれからさらに追い詰められることになります。
また補給食もバラ寿司なども出てくる充実したエイドでしたが、徐々に食べものが喉を通らなくなってきたのもこのあたり。足に痛みがかなり出てきており、口では強がってポジティブなことを言っているがうっすらとリタイアの文字も頭に浮かび始めていました。
右ふくらはぎがパンパンに張っているのと、左の足の甲が痛すぎてまともに歩けなくなってきています。さらには腰痛も出始めてます。これ以降この痛みが改善されることはなく確実に悪化していくのは目に見えているので、脳をどう誤魔化すかばかりを考えていました。
意識的にゆっくり歩いてダメージを回復させようとも考えましたが、タイム的に無理なので無理矢理にでも前に進むしかない状況でした。
第三関門 72.3km地点 関門8分前通過
段々と関門を通過するときの残り時間が短くなってきて焦り出してます。
足の痛みはさらに激化し、歩くときも足を引きずるようになりました。走った方が痛みがマシになるという不思議な状態がこの辺り。足のどこが痛いとかいう次元を通り越していて、一歩進むたびに足全体に激痛が走るようになってました。もうここからは気持ちの力で乗り切るしかなく、痛みとは友達になるしか選択肢が残されていない状態。
めっちゃ暑い中このエイドで出されていた温かいスープやホットココアが異常に美味しく感じられました。人間、体が弱りきってくると冷たいものより温かいものの方が体が受け付けやすいのかもしれません。他にも素麺やパイナップルなども食べて少し元気になれました。
次の最終関門までの制限時間がさらにタイトになってきていたので、休憩もそこそこにエイドを出発。
足の状態と残りの距離を冷静に考えてしまうと絶対に諦める方に心が傾いてしまう。意味思考停止でとにかく進む。
足攣りでバタバタ倒れていく選手たち
これだけバタバタと目の前で人が倒れ込んでいくレースは初めてでした。
60km地点を超えたくらいから急に足やお尻などが攣り、動けなくなってコース状にうずくまったり、倒れ込んでしまう人が続出。
それだけ過酷なレースだということなんでしょうけど、自分も限界ギリギリで動いていたのでいつそうなるか、ビクビクしながら進んでいました。
ぼくはまだレース中の足攣りは経験していませんが、今後は100マイルなどもっとハードな距離に挑戦します。今はたまたま経験がありませんが、どういう状態になれば足が攣るのかを調べて自分がそうならないよう対策はしていかないといけないと痛感してます。
そういえばレース中には攣ったことないんですけど、追い込んだ練習やレース後は寝る時に足が攣りますね。
第四関門 85.7km地点 関門20秒前に滑り込む
最終関門の1キロ手前くらいに近づいた時、沿道で応援してくれる人たちが関門締切まで残り5分だと教えてくれました。正直かなり焦りました。ここまで頑張ってきて最後で関門締め切られてたまるかと思い、そこから残りの力を振り絞って全力疾走。
周りの人の熱い声援もあり、なんとか関門締切数十秒前に滑り込みました。こういう限界状態の時の声援は本当に何よりも力を貰えます。
とにかく関門に間に合うためにその時出せる力全てを出し切って走ったので、足の状態もいよいよ末期状態に。筋肉は痙攣してガクガクと震え、力も全く入らない状態でした。
さらには制限時間ギリギリで滑り込んだため、関門のエイドステーションで滞在できる時間が10分ほどしかなく、体の回復はほとんど見込めません。
ギリギリまで休憩して16:35分にエイドを出発するとして、ゴールの関門が18:35。残り時間は2時間で距離は15.3km、1km毎の速さを計算すると約8分/kmで走り続ける必要があります。
しかしもう足は全く動かなくなっていました。60キロ地点くらいから既にまともに歩くことすらできない状態でしたが第四関門に入る時のダッシュでダメージはMAXに。
普通に歩くことすらままならない状態で、一歩でも走ろうとすると足に激痛が走ります。それに例え走れたとしてもその直前で走れていたスピードが9分/kmほどだったのでまともに足が動いたとしても間に合いません。
この時点で「あぁ、これはどう転んでもダメだ。潔く次の給水ポイントのエイドでリタイアしよう」と決めました。
エイドを出たあとも、諦めてリタイアするつもりで足をひきづりながら歩いてるぼくに沿道のたくさんの方々が「再度まで諦めるな!」「頑張れ!」と何度も声をかけてくれました。この時は申し訳ないやら情けないやらでとても複雑な心境でしたね。
一人のランナーに最後まで諦めない勇気をもらえた
そんな完全にリタイアムードのぼくに声をかけてくれた一人のランナーがいました。
トボトボ歩いているぼくの後ろから追いついてきたその人に「最後まで走るんですか?」と聞かれたぼくは「いや足ももう動かないので次のエイドでリタイアします」と答えました。
その人はぼくと同じく満身創痍で第四エイドをギリギリに通過した人でした。その後に何度も嘔吐したりと明らかに自分よりも体調が悪そうだったにも関わらず、「どこまで行けるか分からないけど、自分は諦めません。とにかくいけるところまでは頑張ります」と言ってぼくを追い越していきました。
心に火がついた瞬間
ヨロヨロよろけながらも懸命に走っていくそのランナーの後ろ姿を見ていると、無性に自分が恥ずかしくなってきました。
確かに足は痛いが本当に一歩も走れないほどなのか?
本当に自分の全てを出し切れているのか?
このままリタイアして、自分を応援してくれた沢山の人達に顔向けできるか?
しかし元々制限時間内に完走するためには、9分/kmで走らないといけない状況だったのに、数キロゆっくり歩いてしまったことでよりゴールすることが難しくなりました。この時点で残りの距離は11キロで残り時間は66分。ゴールするにはさらにスピードを上げて6分/kmをキープしたまま最後まで走り切る必要がありました。
足が遅い自分にとって6分/kmというのは、体が元気で万全な時に出しているスピードです。それを完全に潰れた足を無理矢理動かして挑む。さらにコースも平坦ではなく起伏がある。ということは登りでペースが落ちることを考えると、平坦と下りは6分/kmよりも早いペースでいく必要があります。
それが今の自分にとってどれくらい難しく過酷な挑戦となるかはわかっていました。
でも何故か、追い詰められれば追い詰められるほどに言葉では表せないようなエネルギーというか活力が漲ってくるのを感じました。
足が痛いのはみんな同じだし、逆にこの状態からゴールできたら面白いじゃないか。ありがたいことに足が動かなくなっても今の仕事には支障がないので最悪なんとかなる。文字通りリスクを捨てて腹を括った瞬間でした。
「よし!やってやろうじゃないか!こうなったら太ももが肉離れになろうが、足がちぎれようが関係ない。絶対にゴールしてやる!!」
体の機能を守ろうとする本能は「もう一歩も進むな!!体を酷使しすぎて危険だ。今すぐに足を動かすことをやめてリタイアしろ」と猛烈に訴えかけてきます。
その強烈な指令を、意志の力でねじ伏せて足を動かす。一回でも止まったらもう走り出せない、とにかく前へ!もうこの時点で理屈とかで説明できる状態ではありません。
「人間を舐めるな」「柾木謙吾の意志、覚悟を舐めるな」そんなことを強く思いながら文字通り歯をくいしばって進みました。最大の敵は今すぐに諦めようとする弱い自分自身のみ。
まぁ今思えばちょっと意味不明ですが、その時の自分はこれくらい気持ちを昂らせないと前に進めなかったんです。
ピンチな時ほど自分の中で都合のいいストーリーを作りあげる
全てが順調に進んでいくだけの映画など何も面白くありませんよね。主人公たちが乗り越えるピンチが大きければ大きいほど、乗り越えた時の感動も大きく話も面白くなる。
精神的にも限界状態だったぼくは、プロセスはどうであれ最終的に1発逆転で完走するストーリーを明確に想像しました。
完全に心が折れて、足も使い切ってもう動かない。そして残り時間的に、普通に考えたら今の状態では出せないスピードで最後まで走り切らないとゴールできない。という事実にシナリオを追加していきます。自分が主人公なので脚本は自由に作成できます。
そこでぼくが作ったストーリーは以下のようなものでした。
成功したイメージをあたかも実現させたかのように信じ込むと、その未来に向かってエネルギーが流れるように力が湧いてきます。あとはイメージ通りに実行するのみです。
限界突破状態で有効だったこと
頭の中は戦争状態でした。笑
今すぐにでもリタイアしたい弱い自分と、死んでもゴールするという強い自分がほぼ拮抗状態でずっと戦っていました。一瞬でも気を緩めると道端にへたり込んでしまいそうなくらい精神も追い込まれていました。
そんな状態の時は意識を肉体の感覚に向けるしかありません。
特に意識したのは鼻呼吸です。呼吸を深く吸い込んで体に酸素を多く取り込むのは意識しました。意識しないと、精神的な辛さから過呼吸のような短く荒い呼吸になってました。
あとはボロボロの足で無理やりスピードを上げる必要がありました。ここで意識したのは回転数をあげること。足のピッチを短くして、腕の振りもそれに合わせて回数を増やしました。
さらにメトロノームを頭の中にイメージして、一定のリズムで走り続ける。イメージだけではなく、気を紛らわせるためにリズムは実際口に出してました。
自分が考える限界とは思い込みに過ぎない
最近立て続けに自分の限界を超える挑戦をしてきて、その度になんとかボロボロになりながら目標を達成してきました。
今回の丹後100ウルトラマラソンでも何度も、自分の限界を超えた経験ができています。
そこでふと思ったのが自分が考える「限界」という基準の曖昧さ。そして見立ての甘さです。
どうも自分が思う限界値ってだいぶ低いのではないかと思えてきました。単純に走ることに置き換えるとすると自分が思う限界の2倍くらいは走れてしまうのではないかと感じています。
これはもしかしてぼくだけではなく誰にでも当てはまることなんじゃないかなと思います。自分が限界だと定めている壁ってぶつかってみると意外に脆くてすぐに壊れてしまうものかもしれません。
今回初挑戦したこと
- 同じ月に自分の限界を超える2本のレース走破
- 現地での前泊レース
- ワラーチで走ってみる
- 暑い時期のウルトマラソン
- ネガティブ発言禁止
- レース用ジェルを使わず基本的にエイドで栄養補給
今回のレースでの学び
完走できたことはもちろん嬉しいんですけど、それ以外にも沢山の学びがありました。一筋縄ではいかなかった難しい大会だったからこそ沢山の経験ができました。もっと走れる人から見れば大したことがないことでもぼくにとっては大切な体験です。
乳首に初めてダメージを負った。
よくフルマラソンなどの対策で言われている「乳首をガードするべし」というセオリー。長時間走るので衣服との摩擦で切れてしまい出血することもあるので、対策として絆創膏などを貼って擦れを防ぐことが有効だとされています。ただ自分としてはこれまで擦れて痛くなった経験がなかったので特に対策はしていませんでした。しかし今回はやられましたね。。。。レース後半になると左乳首に切り傷を追ったような痛みがずっと続いていました。幸い?体の他の部分がそれ以上に痛かったのでそこまで気になりませんでしたが、レース後服を脱いでみると乳首に裂傷ができていました。
原因としては常に汗だくか被り水で水浸しの状態だったので衣服との摩擦が普通のレースよりも大きかったからだと思います。今後は長いレースでは乳首に絆創膏を貼って対策します。
音楽はやっぱあった方がいい!
音楽があると気が紛れるし、ノリがいい曲だとそれだけでスピードアップできる。
今回はかなり音楽に助けられたので今後も持っていく。おそらく音楽がなければ完走は難しかった気がします。また音楽以外でもポッドキャストやオーディブルなどでお気に入りの話や本などを聞くのもかなりいい。ただトレラン大会などは安全性の面からもイヤホンで耳を塞ぐことを禁止している大会もあるので、そこは大会ルールに合わせて臨機応変にやればいいかなと思います。
エイドで過ごす時間の使い方
大きな大会はエイドの数がとても多い。その全てで足を止めていたら膨大な時間のロスが生じます。
今回の大会でも3kmほどに一箇所はあったのですが、区間で水分が枯渇することはほぼありません。
今回はみんなと同じように全てのエイドにお邪魔したが、その必要はなかったかもしれません。
ただエイドを心の拠り所にして頑張っていたところはあるので、なんともいえないけど前半の元気なうちは給水だけのエイドは飛ばしていればもう少し時間に余裕も生まれた気もします。
でも短時間とはいえこまめに足を休憩させたから完走できた感じもするし、これについてはまだ経験値が足りないので現時点では判断が難しいところです。
初心者ワラーチランナーでもウルトラマラソン完走できた
これは我が身を持って証明できました。そこまで慣れていない状況でもなんとかなる。
ただし慣れていない状態でやると足の裏にとんでもない激痛を伴います。苦笑 普段の練習から常に使用して足を慣らすことと、足の裏の皮がある程度分厚くなるまでは長距離の大会に出るのは控えたほうがいいです。でも何よりもすごいと思ったのは膝へのダメージがほぼなかったということ。これには一番驚きました。足裏の痛みもシンプルな使いすぎで、故障とかではなかったので割とすぐに治りましたし。ワラーチ恐るべしです。
ちなみに今回は正確にいうとワラーチの亜種「マンサンダル」で走りました。ワラーチの結び方で長距離を走るとランニングシューズ同様少し膝が痛くなるんですよね。不思議。
まとめ
この2023年は色々な大会に出てみたけど、レース後の回復速度が明らかに速くなってきているのは嬉しいポイントです。スピードは残念ながらほぼ変わらないんですが、体が明らかに強くなってきているということは素直に嬉しいです。
あと坂道耐性は爆上がりしていたましたね。トレランで地獄のような坂道を経験していたので、ロードの上り坂がかなり楽に感じることができました。
比叡山などの山を登った経験などから、通常の車で登れるくらいの坂くらいではなんとも思わなくなっていました。この辺はやはり死地をくぐった分だけ強くなれる。ハードな練習やレースの出場経験は決して無駄ではないですね。
最後に、追い込まれれば追い込まれるほど人の応援の力が身に沁みるのも実感しました。やはり人間一人の力は大したことはない、支えてくれる他者がいるからこそ真の力を発揮できるのだ、と謎の納得をしています。笑
さて、次の挑戦はトレイルランニングでは最長となる80kに挑みます。
その名も「マンノウマウンテンマッドネス」略して(MMM)!!名前からしてヤバそうですよね。笑 しかも深夜1:00スタートで累積標高も5600mとなかなかえぐいコース。また自分の限界の壁をぶち破れそうです。楽しみすぎる!!
この調子でサハラマラソン本番までは体を鍛え抜いていきます!
ということで今回は以上となります。最後まで読んでくださって本当にありがとうございました!
コメント