2007年11月4日
昇進したり、転勤したり、転職したり、なんとなく山に帰りたくなったり。
親しく付き合ってきた担当者が変わってしまうのは残念だけど避けられないことだ。担当が代わる時には、今までの担当者から新しい担当者に、これまでの取引やサービスなどの引継ぎを行い、最後に当社まで担当変更の挨拶にやってくる。
しかしながら、クローズした商品やサービスの結果だけではなくて、その過程で決めていたことや細部までは当然完璧には引き継げるはずも無く、自分が忘れてしまったら「アレ、どんなふうだったっけ?」というちょっとしたことを気軽に聞ける引き出しがなくなってしまう。
業務の大切なバックアップが一つ無くなる感覚。これはちょっとした喪失感だ。
自分の会社の事情等も時間をかけてゆっくり伝えていって、ようやく阿吽の呼吸でニーズを引き出してもらえるようになったときに、新しい担当者になればまた初めから教えていかなければならなくなる。自社用担当者として育成してきた時間がゼロに戻されてしまう感覚。これも結構ズシっとくるものだ。
残念なことは残念だけど、それは企業間取引での宿命みたいなもの。
どうせ担当者がリフレッシュしてしまうならこちらもあわせて新規に担当者を変えてしまうといいかもしれない。これまでとは違う視点での取引も必要だと思うし、こちら側の担当者としても、自分の担当さんとはやはり最初から付き合いたいと思うものだから。
しかし。こんな半端な時期なのに、担当者の交代が続く。不思議だ。
2007年10月27日
経営者にとって利益に直結しない買い物は必要であっても中々手を出しづらい。
間接的に必要であったり、未然にリスクを低減するものであったり、必要性そのものは理解していたとしても、現実に今何とかなっているものは後回しにしてしまうものなのだ。
さて、この手のものを買う気になるのは、どんなときだろう。
一つは現実感を持って必要性を認識したとき。「充分に起こりうる」という物に対策を打たない人はいない。
一つは決算前などで利益やキャッシュの余力を確実に確保できる自信があるときだ。見える時は手をつけやすい。
後はなんと言っても手間がかからないこと。
何度もあって相談して・・とか、押印してファックスを返送・・とか、時間的にも空間的にも手間がかかるのはやりにくい。やはりメールの授受で詳細まで詰めて、契約時やその一歩手前くらいでフェイストゥーフェイスで確認する。そこまで持っていけないとなかなか。
利益に直結しないものも、要る時にはしっかり買う。必要な体制は整えないとね。
2007年10月26日
日経BPネットの猪瀬さんの記事「タダは国を滅ぼす」を読んだ。
企業の無料のサービスの場合、裏側には収益を得られるシステムがある。
何かを無料にして参加者を増やし、関連する他のもので採算化を計る。フリーペーパーだって、ミクシィだって、携帯の端末だって、きちんと裏側には戦略があった。
しかし国や公共サービスの「無料」には考えが無いことが多い。採算化は無理だから増税しよう。増税すると選挙に負けるから曖昧にして未来にツケよう。
政治家が悪い、官僚が悪い、マスコミが悪い、と、悪いもの探しをしていて他人のせいにして自分達は正当な対価を払う感覚を忘れてしまっているのではないだろうか?
2007年10月24日
車やバイクをより早く走らせる要素としては、アクセルよりもブレーキの方が重要だ。単純に踏めばスピードのでるアクセルとは違い、制動には細かいテクニックが要る。そして何より早く走る為のブレーキには勇気が必要だ。
成長街道を突き進もうとするベンチャーにとってもブレーキを意識する事は大切になる。
ブレーキ、というと成長の先にゴールを見据える経営者としては、どうしても嫌な響きに聞こえるのだけど、実力に合った評価、体力に合った成長は、急拡大や急成長よりも確実にゴールへの最短距離を進む事になる。
誰しもが「期待に応えたい。誰かを守る為ならば。」とアクセルを踏み続けてしまうところに、ブレーキをかける判断は勇気がいる。何かの要因によって拡大し続ける事を義務付けられた組織には、止まったり退いたりする事が認められなくなってしまうのだろう。
赤福を始め、現在騒がれている食品関係の不祥事は、アクセルを踏み続けてブレーキを踏めなかった結果かもしれない。
マスコミの報道のように「利益や会社業績の為に法律を無視した」と断罪する事は容易いと思うが、経営者や従業員達がブレーキを踏めなかった理由をきちんと調べる事が大切だと思う。
その上で、あるべきタイミングでのブレーキの踏み方を、我々経営は学ばなければならない。
ベンチャーもそろそろアクセルだけ踏んでいれば脚光を浴びる時期から抜け出さなければね。
2007年10月14日
経営者がどれだけ一人で頑張っていたとしても自分一人の力は小さなものだし、組織として機能しなければ「空回り」でしかなくなってしまう。
云うまでもないけれど、企業が前に進んでいくための推進力はスタッフ個々がいかに自発的なパワーを発揮するかにかかっている。
さて、この「自発的に」という姿勢は、経営者や上司が「自発的にやれ!」といって身につけられるものではもちろんない。私は長い間この「Voluntary」という能力の開拓は、「ビジョンを共有した上での権限の付与」を進めていくのが近道だと思っていたのだが、もう一歩手前の段階として「危機感の共有」が大切なのだと感じた。
誰もがそうなのだけど、現状に問題がないと思ってしまえばそもそも自分から何か動こうなどとは思わないだろうし、問題点があっても誰かのせいだと思ってしまったり誰かがやってくれるだろうと考えてしまえば、自分の限られた責任を守りきることだけが使命と思ってしまうだろう。無関心や批評家は危機感を感じていなかったり自分の問題のひとつとして共有できていないのだ。
現場が危機に感じていても、経営に想いが届いていないこともある。
現場がリスクを過大評価していることや、経営者が過小評価してしまうケースである。危機感共有の為の前提になる感受性や情報・知識の差がある場合、前線とバックに温度差ができて危機感は共有されなくなる。
こんなときは経営が現場の自発性を排除する。
では、トップや管理職が前線にいるスタッフと危機感を共有するにはどうすればいいのか?
ひとつはトップ自ら現場主義を徹底することだ。自分で現場を見てリスクを洗い、評価する。その上で、対策はできるだけボトムアップでできるようにフォローに徹する。フォローする場合もできるだけ目線を合わせて自分の判断や指針を押し付けないようにする。
トップの大切な仕事の一つに危機管理がある。
自分が怖いと感じたことを人に任せたり自分と異なる対策になったりするのは、とても勇気の要る事だ。しかし、この危機意識を共有することが自発性を磨くためには必要だと思うし、任せるに足る信頼関係を築いていくには大切なステージなのだと思う。