2004年12月15日
起業家を語るとき、話題になるのはいつもイノベーターとしての人物、或いは考え方に重きを置かれる。
イノベーターの定義づけをここでは、「革新者」とすると、私はこれに当てはまらない。新規ビジネスに全てを注力するやり方を好まないのだ。
ヒカリのあたっていない頃からこつこつと研究し、何かをきっかけにして一躍・・・という話や、奇抜なアイデアを常識外の行動力を持って・・・という話は、確かに実在するだろう。しかしそんなカケに出たとしても果たして成功する可能性がどれだけあるのだろう。
私のビジネスモデルの骨格にある考え方は、今あるどんな商品でもどんなサービスでもいいのでそれをキチンとやる事。内部にいれば、「ここをシステム化すれば大幅にコストを下げられるのに」「ここでお客様にもう一フォローするだけで特化できるのに。」といったことを確実にやっていく事である。いわば、業界の悪癖や暗黙の規制にとらわれない既存事業における業務改革が私のビジネススタイルなのである。
それが、業界内では画期的に写り、私がイノベーターであるように囁かれる。
ただ普通に仕事をしていたいだけなのだ。
2004年12月14日
トライアンフ創業当時からこだわっている事がある。
一つは組織拡大。確認有限から始まり、有限会社へ、そして株式会社へ。新興市場の上場を経て、東証一部、海外の市場に出る。いけるところまで行く。経営として、投資家として、企業価値を高める事が「仕事」だからだ。
もう一つは販路拡大。名古屋からスタートし、東京・大阪の二都進出、全国に営業所を構えていずれは世界へ。である。こちらは、「より大きな仕事をしたい」という「野望」があるからだ。
前職で共に戦った仲間に「いずれは旗をあげに東京に進出するさ。」と言った夏の仕事場。
大学の仲間に「いずれはここに戻ってくる。」といった夜の居酒屋。
二都進出は、こんなにも個人的な野望。何よりも自分の心に誓った夢。
原点を見直し、組織作りというディフェンスの強化を課題にあげたそんなあとにも、こんなにも攻めたい自分がいる。
いつか、必ず世界の舞台へ。
2004年12月13日
仕事を片付けた後、土曜日のお詫びにうかがう。
もちろん謝罪に行くという仕事は非常に気の重い仕事である。特に当社の方に全面的に非がある場合はなおさらだ。しかし、ご迷惑をかけた時に誠意を込めて謝罪する。この姿勢はいくら会社が大きくなっても失いたくない。前職にあるうちは、「会社を守るために」という理由で自分の心では全面的に謝罪したいときであっても上司の指示により「退かない謝罪」を試みる事が多かったと思う。
しかし、今まで本当にお世話になってきたお客様であり、親しく付き合ってきていただいている担当者さんである。当社の重大な過失でご迷惑をお掛けした際には、会社を代表する私が誠実に頭を下げる事こそが、何よりも重要であると信じている。
今回の案件では、関連した業者様達はもちろん、当社スタッフにも非常にご迷惑をお掛けした。対応のため快く作業内容の変更に応じてもらったスタッフ、手配や交渉を重ねてくれたスタッフには本当に感謝している。
会社が窮地に立っているときに、助けていただいたお客様・スタッフの恩は絶対に忘れない。
一からまた出直すつもりで、今後も誠実な業務を心がけていきたい。
2004年12月12日
2004年12月11日
組織が大きくなると、気の合うもの同士で固まるようになる。
人間だれでも好き嫌いや気の合う、合わないというものがあるので自然な事ではある。
しかしマネジメントをする側の人間は意識して派閥を作る事を避けなければならない。特に人事に携わるものは人の評価の基本を中立に置くべきである。
仲の良い人を優遇するというのでは、大きな組織を効率的に動かす事は出来ない。また、古くからいる人を優遇するというのであれば、新規に優秀な人材を取り込むことは出来ない。
ある人事担当者は「だから、なるべく公正な評価をするために特定の人とは仲良く付き合わない。」と云っていたが、これは違う。理想は「全ての人と仲良く付き合う。しかし評価はそれとは別に客観的に行う。」でなければならない。
しかし、そうすれば「あれだけ親しかったのに、評価はこれか?裏切られた!」と思われるシーンが必ず出てくる。特に人は自分の能力を2割増程度で見るというから、評価に際して低く見られた、と思うのは自然な事なのである。
人事の孤独を派閥で守るという姿は大企業の悪しき風習だ。人事の苦労を理解するのはむしろスタッフ全員でなければならない。
「誰々と一緒ならば、この仕事はやれません。」
という発言は人事のそうした苦労を理解できない発言であり、派閥を生む姿勢の第一歩である。人事を守れない考えをするスタッフは結局自分で自分の居場所を無くす事になる。