数あるマジシャンの名言で、最も艶っぽく憧れる台詞といえば、マックス・マリニのこの台詞である。
私がこの言葉を知ったのは、マジック界で有名なマジェイアの蔵言集( http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/magic/singen/si_malini.html )からであるが、この説明のエピソードを引用しよう。
ある貴族の家でマリニは、目隠しをした上で、テーブルにばら撒いたカードにナイフを突き立ててカード当てを行った。「ブラインドフォールド・カード・スタビング」と呼ばれる著名なマジックである。
観客は喝采したが、その貴族は貴重な家具を傷つけられてマリニにクレームをつける。その時のマリニの返答がこれだ。
「マリニの付けた傷が在る」事がテーブルの価値を一層高める事を彼は知っていたのだ。
これは、プロフェッショナルとしての心構えとして。また、自分の持つブランドというものの価値について、現在でも非常に参考になる。
しかし、だ。本当にマジシャンのカッコよさをよく表しているエピソードである。

最近、スタッフの引き抜きについての話題をよく聞く。
我々の業界は、人材の流動化の先駆けのような存在であるが、当社では可能な限り固定化して熟練していって欲しいと考えている。それでも、当社に魅力を感じてやってきてもらう事は大歓迎だし、当社より魅力的な条件を出す企業に移って行きたいという事であっても移り先の企業が魅力的であれば仕方が無いと思う。また、そんな魅力的なところに移れるだけのスタッフを使っている事について誇らしくも思う。
だから、裏切られた。とは、思わないのだ。
当社のスタッフは、本当にエンプロイアビリティが高い。つまり労働移動を可能にする能力が高いという事であり、うち以外でも非常に有用であると考えられる能力が高いという事だ。それは、順応性であったり、指示の飲み込み、向上心、といったアビリティをさすが、様々な規模のユニットで様々なポジションを経験する事により、一つの企業内で同じ仕事をしている人に比べると、「どんな状況でも有能である能力」が自然に高くなってくるのだ。
また、私自身がオープンブックマネジメントを意識して経営にあたっている事の証左でもある。スタッフへの財務諸表の公開に始まり、読み方の説明、経営状態の共有化。目標達成時のインセンティブ。どれも小規模ながら実践してきている。株式会社化以降は、ストックオプション等も選択肢に入ってくるだろう。
スタッフにとってうちが一番魅力のある企業であって欲しい。だからこそ、スタッフ個々のエンプロイアビリティを磨き上げて、それでもスタッフが当社を選んでくれるような企業でありたい。社長の想いはやはりここにある。

2005年1月11日

《振込》

今年初めての給料日。
オンライン上から振り込み処理を行う。
時間に追われながら一人ずつ処理をしていくのだが、一件名義の入力を間違えたのに気づく。UFJ同士であれば、エラーメッセージが出て入力中に修正できるが、他銀行宛ての場合は振り込まれた先の銀行が入力された名義の間違いに気がつくまで処理が行われない。
一般にはあまり知られていないが、金融機関同士の振込入金処理は、一件自動に見えるがほぼ完全に人力である。銀行からデータを投げるのも手作業なら、振込まれ先銀行処理も手作業である。どちらかの銀行の作業員が怠けると、何時間も入金処理が完了しない事もよくあるのである。
冒頭の話に戻るが、本日の入力ミスに気がついて銀行に連絡し、確認が取れるまで3時間。且つ修正の為に銀行印を持って店頭に出向く必要があった。(本来名義人の入力ミス修正程度では印鑑など要らないがUFJはどうかしている。)
前職であった証券会社では、即時決済システムを導入するまで、一人がPC画面に張り付いてほぼ10分おきに入金処理を行っていたが、「振込んでから何時間もたつのに、入金反映しない。」というクレームが溢れていた。あの頃から銀行の振込システムの酷さは目に余るものがあったが、今も全く改善していない。
入力修正に3時間。銀行のサービスは日本の客商売の中で飛び抜けて最低である。

2005年1月10日

《万博》

最近酔うと万博に恐怖する。
之ほど大きなチャンスが目の前に現れて、それに適切に対応できるのか。不安であるし、それ以上に期待している。似ている感覚としては、試験前の緊張感だろうか。心許せる友の前では、どうしても本音がでる。酩酊すれば弱音も吐く。虚勢も張る。
だが、どんな感情よりもどうしようもなく楽しみでもある。そう。怖い位に楽しみなのだ。正に経営者冥利に尽きる。

2005年1月9日

《乱数》

はじめてプログラムを組んだのは小学2年生の頃、MSXを買ってもらった時だったか。印象に残っているのは、親父と二人でベーマガにカジリつき、「コンドルは飛んで行く」を打ち込んでいる記憶。それから、RPGの戦闘シーンやクイズ、戦略シミュレーションなどどこかで見かけた様な自作ゲームを山程作った。そこまで幼い頃の自分をプログラムに駆り立てたものは何か?と考えると「乱数」の存在ではないかと思う。命令通り動くプログラムの中で制作者の掌からこぼれ出す存在。今でもプログラム内に乱数を含ませるとき、やはり心踊る自分がいる事に気付く。