2005年2月7日
大学時代の友人から見れば非常に今更なことになるだろうが、私は相当な自信家である。
人のやっている事の殆どは自分にも出来ると思っているし、無人島に流されても生き抜いていけると思っているし、抑圧された戦時下であれば迷うことなく銃を取って革命家となるだろう。遊びも知識も広く浅く。「できるか」と問われれば、まず「できる」と答える。
さて、ここまで云ってしまえば、どんな分野にも造詣の深いマルチスペシャリストのイメージを抱かれるかもしれない。だがそれは違う。その道のスペシャリストから見れば私の技や知識などおしなべて、所詮は初級卒業レベル。だが世間が求めるレベルはこれでいいのだ。
起業の採用条件を見ても、クライアントから作業手配を頼まれても、求められる技術欄には誰もこなしえないようなハイスキル項目が並ぶ。涼しい顔で私は応える。「えぇ。可能です。」あとはいくぜいくぜで一直線。実際はやってやれない仕事などない。
ここまでは、私を構成する基本であり、本質は変わらないでいる。起業して何が変わったのか。責任者としての思慮であったり、戦略であったり、あるいは腰の低い対応であったり、礼儀正しさであったりするかもしれない。最近再三話題に出す「柔らかさ」「優しさ」といったもの。そういったものに圭角を包んでいけたらと思っている。表面は物腰低く柔らかく、芯は強気で自信家で。
「瓦の上にまかれても、芽を出し花を咲かせる自信がある。」
2005年2月6日
最近は仕事が忙しくなってきており、現場をおろそかには出来ないのだが、その中でも採用活動引き続き強力に行っていきたいと思っている。
採用活動に際し、私の尊敬するソニーの盛田氏の名言を記そう。
「騙してでも優秀な学生をソニーに欲しい。僕は彼らを必ず幸せにする。」
起業の発展はただ一事、人の運用に尽きる。
騙してでも欲しい。
必ず幸せにする。
本当にこれは求愛の言葉だ。ソニーがトランジスタを開発しているとき、大学ではなくなりゆく真空管の研究をしていた。その時の盛田氏の言葉である。
色々な思いがあっただろう。全ては彼の言葉から推察できる。彼の元に人が集まったのも納得できる。人に関する活動というのは、まず情がありそして義があるべきだ、と感じた。
2005年2月5日
大学在学中よりマジックをこよなく愛し、そして後輩を含め多くの人にマジックの楽しさを伝えてきた。その中には、短期間の教え子も数多く含まれる。ある人はただネタを知りたいが為、又ある人はイベントの出し物として、そして又ある人は、家庭教師中の休憩中に。
私自身のマジックのルーツは、無論立命館であるが、当時立命館マジックはまだまだ黎明の時代だった。そのため私は京滋のプロマジシャンや他大学とも交流を深め、雑多な知識の源泉とした。
私のマジックのルーツは、これらの大学時代ともう一つ、留学時代にもさかのぼる。
ロサンゼルス留学時代は、マジックキャッスルのメンバーとしてかの居城を根城にマジック活動を行った。マジックキャッスルの説明は下記サイトに譲るとしよう。
http://www.wizards-inn.com/castle/
その意味では私は前田知洋と同門ともいえる。あのマジックサロンでマジックづけの日々を送った後は、各地を回りストリートマジックを行っていた。西海岸のビーチというビーチを回りまくった。その間も多くの子供達にマジックを教えていた。
就職して一時的にマジックと距離をおいていた時期もあったが、最近ではまた少しずつ地域の依頼にこたえたり、昔のマジックを思い出したりしている。
最近では、クレースの社長が知人の結婚式に披露する為に簡単でハデなマジックを教えて欲しいとやってきた。どうやら成功したようで、直近の弟子の活躍にホッとしていたりもする。
http://dblog.dreamgate.gr.jp/user/e063/e063/
何にしても我が弟子達よ。いつまでもマジックを好きでいて欲しい。望む事はただそれのみだ。
2005年2月4日
現場では、予期せぬトラブルと云うものが数多く起きる。
そのため、一人の技術者として優秀な人物であっても客先での作業責任者になるとどこまで信用してよいのかわからない、といったケースが数多く存在する。
現場に必要な能力はまずコミュニケーション能力である。センターとなる発注元とのやり取り、お客様とのやり取り、本当に些細な事で信頼関係は崩れてしまうので、まずはその作業を取り巻く人間関係の調整が順調な仕事の第一歩となる。
そう。この「作業を取り巻く人間関係」をつかむ事が出来るかどうかが、現場における作業責任者としての最低限の能力といっても良い。これが掴めれば「誰にどこまで問い合わせてよいのか。」を把握する事が出来る。責任者は常に、「わからない問題を誰かに問い合わせて解決しなければならない。」という問題と、「余計な質問をして不安を与えてはならない。」という相反する問題を常に抱えながら問題解決を進めなければならない。
さて、「誰にどこまで」がわからない時は、どうするのか。これは、「近いところから聞く。」これが原則である。仕事の受託関係が団子の様に何層にも折り重なっているとき、直近の発注者に問い合わせるのが一番無難である。うちのスタッフであればまず、私だろう。私であれば、その問題を誰に問い合わせすれば無難に解決するかを判断できるし、できなければ当社に仕事を入れていただいた会社に問い合わせることになる。
確かに何段階も問い合わせを重ねる事は非効率的だし、話しが人づてになってしまい内容が変化してしまう事になるかもしれない。だから、「この問題が発生したときは、ここに問い合わせすればいい。」という事がわかっていれば、直接問い合わせすればよいのだ。
この会社関係、人間関係、というものが掴めて、ようやく現場責任者としての責務を果たす事ができるのである。
2005年2月3日
表題は、今まで私の聞いた名言の中で最も好きになれないセリフである。
彼は、会社から給料をもらい、会社の資金や設備を使い、会社の販路を使って大ヒットした商品の開発者である。最近では、「日本の司法システムは腐っています。」のコメントで人間性の破綻を日本中にさらした人物でもある。どれほどすばらしい功績を残した科学者であっても、彼のような人間を教授にする大学も彼を尊敬する学生も、私は心底軽蔑している。
私自身は、技術者としての側面もあり、スペシャリストが管理者より低い評価しか受けない日本の人事制度に反感を持つ人間の一人である。しかしながら売上が発生するまでの全てを自分の手だけで実現できると本当に思っているのならば、会社組織などに属せずに一人で開発して売り込んで見ればいい。バックボーン無しでこれが可能であるならば、このセリフを云う資格もあるだろう。
一方、実際に彼の発明した商品自体はすばらしい。このプロダクツを評価する視点は彼の人格とは別でなければならない。そして、彼のその功績に対しては十分に評価しなくてはならないとも思う。彼の所属していた元会社もその点ではやはり全く洗練していなかった。どちらも未熟である事は本当に残念である。製品自体も未熟に思われてしまえば、誰のためにもならない。
しかし、彼の様な人間に自由に開発させる会社というのも管理体制などで大いに問題があると思わざるを得ない。残念な事だ。