2005年2月27日

《トライアンフ流》

当社の流儀は特殊なものではない。
「当たり前のことが、普通にできる会社。」であればそれでいい。
経営をつかさどるものとしてまず考えていきたいことは、「現場に近いこと、営業に近いこと、事務に近いこと」の三点である。要は第一線を知る事ではないだろうか。
会社は、システムがしっかりしてくるに従いそれぞれの専門性が強くなる。確かに分業化することによって劇的に効率は上がるだろう。だが、ひとつの分野しか知らないようになると、効率性を引き換えに大切なものを失ってしまう。
一作業だけを担当しているスタッフであればよいのだが、全体を統括する経営者であればそれではいけない。たとえ経営としての仕事が忙しくなり、第一線を誰かに託すにしてもそれを経験で知っているかいないかは、経営する上で大きく異なる。
大企業の子会社で社長以下幹部すべてが天下りという会社もよく聞くが決まってそこのスタッフもお客様も会社に満足していない。幹部が社業を知らないが故である。
トライアンフ流は第一に現場主義、そして一般にスタッフやお客様が感じていることをともに感じられる経営の元に培われている。

2005年2月26日

《大量動員》

クライアントの希望により、一箇所の案件に大量の人員を投入することがある。
今回も某自動車メーカの建物増築に絡み機器の移動と再設定を請け負うことになった。26・27日は、ある意味当社にとってXデーになったということだ。大量動員では、通常の案件よりさまざまな面で難しいものがある。まず、人員を集めること。予定より多くとも少なくともよくない。どのくらいの規模で声をかけてよいのか。どのくらいの質まで許容範囲なのか。微調整にまで非常に気を使うことになる。また、クライアントからの突然の連絡や要望についても全員に回し、情報を収集するためには通常よりも多くの時間をとられる。この手配段階において規模が増せば増すほど事務作業が難しくなる。
もっとも気を使う段階は、「作業」そのものではない。「集合」である。現場に予定の人員を滞りなく運ぶ。集まってしまえば当社としての責任はほぼ果たせたと云って良い。
残るは実作業であるが、ここでは各作業グループのリーダーの資質が大きくモノをいう。この案件は今回の大量動員にいたるまでに何回か失敗をこなしてきただけあって指揮者の能率も上がっていた。作業員のスキルに厳しいクライアントで当社のスタッフから1名退場者を出してしまったが、これは残念だが仕方のないことでもあった。全体としては概ね予定通りのスケジュールでこなすことができこの規模の案件としてはよくできた部類に入るのだろう。
今回の案件は、得意先にしたい企業からの受注であったためなんとしても信頼を勝ち取る事が優先される案件だった。その第一目的は無事に果たすことができたと思う。一つ一つの仕事をきちんとこなしていくことによって、一つ一つ信頼を築き上げていく。この仕事もきっと後々の仕事に大きく結びついていくことになるだろう。
一緒にこの案件を成功させてもらったスタッフには、心から感謝している。

2005年2月25日

《OS》

長いこと使ってきたWinMeマシンがついに立ち上がらなくなる。
このOSは評判どおり性能は悪く、よくハングアップしたりシャットダウンできなかったりで、困らされていたのだが、使い始めてしまうとデータの移行やらドライバのインストールやらをするのがもどかしくて、ついついそのままだましだまし使う事を選んでいたのであった。
立ち上がらなくなるにおよび、いかに重要な情報を不安定なマシンで扱うリスクが高いかを実感させられる。データを救出するのにも新しくまたオンラインの環境を作るのにも非常に大きな労力と関係者の協力を必要とした。
改めて思う。必要な経費というものは、出し惜しみしてはいけない。情報の価値というものを軽く見てはいけない。
実感として今回の件は重い教訓となった。

2005年2月24日

《確定申告》

確定申告のシーズンである。
会社の決算といい、確定申告といい、この手の事務処理は非常に億劫な気持ちになる。
だが、確定申告をすると税というものが本当に実感として感じられるのだ。一会社員で源泉徴収されているときに、本当の意味での納税意識というものは恐らく持ち得ない。
税を実感出来るという事は、すなわち政治を感じるという事である。
この作業の億劫さ、複雑さ、それら全てはそのまま政治に対して我々が感じている意識そのままであるといえる。

2005年2月23日

《逆境》

人間の真価が問われる場面と云うのは常に逆境である。
私は有事の人であろうと思っているし、会社社長の存在意義はつまるところそれのみとも云える。
逆境に臨むにあたり心がけている事が一つある。それは早期に決断すること。決断事項が誤っていたら、朝礼暮改をいとわないこと。
逆境に際してもっとも危険な考えは「不退転の決意」である。退くことのできない将に名将はいない。