2005年3月24日
三月末というものは、いろいろな事が集中して起きる。
そして、対応が完了するまもなく次々と案件は重なるものである。
いい仕事をすることと、時間や心に余裕があることは切り離せないのだが、この時期だけはどうしてもいっぱいいっぱいになる。
当社だけではなく、関連各社須らく同様の状態でついつい関係がギクシャクしてしまうものだ。
こんなときこそ、まず自分たちから一呼吸おいた落ち着いた対応を心がける。
クッションになりえる人物や会社があれば、そこは間違いなく次の中心を占める存在になるのだろう。
本当に小さいことであるが、忙しいときはこの小さいことが煩わしい。
それでも。まず深呼吸。早く処理したい気持ちを抑えて、まずは報告・連絡から。
2005年3月23日
仕事というのは、突き詰めて云うと交渉の連続である。
そこに利益が絡み、思惑が絡み、良心が絡み、責任感が絡む。
誰もが満額回答を用意しているわけではないので、そこはいろいろなものと綱引きになる。
モノポリーでも同様だが、交渉の真髄は相手に喜んでもらいつつこちらにとって良い条件を引き出す。
あるいは、相手に申し訳なく思ってもらいながら、こちらの十分な条件を引き出す、というところにある。
だからこそ、目立つところでは自分から折れてあげて相手を引き立てることも重要であるし、いわゆるオマケを惜しんではならない。
そして、肝心な部分としては、「相手が苦しいと思っているところを積極的に引き受ける」ことに尽きる。
人は苦しいときに助けてもらった相手に対して否とは云いにくいものだろうし、自分を省みても苦しいときに助けてくれた人にはできるだけの事をしたいと思う。
そして、人の苦しいところがわかってあげられるような優しさが身につけば、交渉は自然にうまく進む。
利は極めにあればいい。交渉の肝は情にある。
2005年3月22日
往年の名選手がそのまま名監督を意味するものでないことは、一般的に知られることであろう。
そう。プレーヤーとしての能力とマネジメントとしての能力とは別のものであるからだ。
プレーヤーを長く続けたからといってマネジメントができるようになったとは云えない。
こんなシンプルな関係を日本企業はずっと見誤ってきた。それが年功序列という考えだ。
考えてみればこの「無能上司生成システム」はようやく今になってヤメようという姿勢が打ち出されつつある。
さて、一方でマネジメントを司るものが現場を知らないで指揮を執ることが可能だろうか。
これは100%不可能であると言い切っていい。
管理するものが、時間や金や物であるときはまだその人物の資質でカバーできるが、こと人に限っては現場を知らないでその管理を行うことは不可能である。
年功序列はまだよい。名選手が名監督である可能性というものはいつでも残されているのだから。
この現場を知らない監督というのは、最悪である。
今、日本企業のマネジメントは名選手からのなりあがりを脱却して、現場を全く知らないド素人に託されつつある。
2005年3月21日
所謂、「デキる職業人」という人種は自分の見える範囲と、そのもう一歩だけ広い範囲の人達の事を気遣える人だと思う。
直接見知らない人と電話で対応する場合、如実にその人がどれだけ「普通の職業人」であるかがわかる。
電話の向こう側にいるひとにとっては、その人が「その会社」であり、「その集団」そのものとなる。
我々も良く、サポート本部などに連絡する場合に「あの対応はひどいな」と思うことが多々あるのだが、相手が一兵隊だと思って話している相手がスタッフ全体に影響のあるキーパーソンである事などきっと考えもしないのだろう。
翻って、我々が連絡のときに取り次いでくれているお兄さんやお姉さんが、意外に社内で影響力のある人物であるケースなど、日常的にあるのだ。
そこに気付く事ができるか、が、デキる職業人になるための第一歩であることは疑い得ない。
2005年3月20日