「アサーション」とは、元々は「主張・断言」の意。転じて、相手を傷つける事無く自分の気持ちや考えを伝える事を指す。
我々ビジネスに携わる人間は受動的でいてはならない。自分の主張や判断というものを的確に相手に伝える事が要求されている。しかし、その伝え方というものが攻撃的で相手が傷ついてしまうようでは、いくら主張そのものが正当で有意義なものであったとしてもビジネスシーンでは自分の主張を活かす事ができない。
特に価値観が多様化した現在では「主張の内容」と同等以上に「主張の仕方」も重要になっている。もはや、上司・部下といった会社組織で結ばれた関係であったり、顧客・サービサーといった契約で結ばれた関係であったとしても、立場が上位の者が高圧的に要求しても相手にこちらの希望を十分に叶えてもらえるとは限らないのだ。
アサーションの理論では、コミュニケーションを大きく3つに分けて考える。アグレッシブ(攻撃的主張)、ノンアサーション(非主張)、そしてアサーションである。
いくら自分の意見が正しくとも、攻撃的な主張では通らないし、いくら相手に配慮しても自分の主張をいえないのでは仕事にならない。つまりビジネスマンはアサーティブな能力を必要とされているのだ。人によっては常にアグレッシブであったりノンアサーションであったりする事もあるが、多くの人は自分や相手の立場によってアサーティブに発言できない事もあるだろう。部下や下請業者に対してアグレッシブであれば、感謝の気持ちをもって改めるべきだし、上司やお客様に対してノンアサーションになってしまう人は、もっと相手を信用して素直に、率直に、丁寧に、必要な事を述べるべきだ。どんなにこちらがアサーティブに対応しても、受け入れられないこともある。それで相手が怒り出してしまったら、それはそれできちんと調整する。けして論破する必要はないのだし、自分の考えを完全に相手に理解してもらう必要も無い。
我々が重視しているコミュニケーション能力はこういったものだ。けして全てを受け入れてくれるイエスマンが欲しいわけでもなく、相手の立場や心情も理解できない論客を必要としているわけでもない。
特に若い人とある程度経験を積まれた方には不足している能力ではないだろうか。

2005年9月17日

《会社資金》

8月は月商が過去最高を更新する中、その月末に一瞬会社預金が底を突きかける。
ベンチャーには良くある、恐怖の瞬間である。
当社は開業時、私の前職で溜めた100万円を資本金に始めた会社である。開業準備で十数万が飛び、泣かず飛ばずの半年間で更に十数万が消え去った。大きな失敗をしなかったとはいえ、現在のこのビジネスを始めた当初では確か60万円台の資金余力であったはずだ。あの頃から変わっていない一つの事項は「資金の上限までしか成長余力が無い」ということである。
スタッフにはなるべく早く支払いたい(当時は半月毎に締めて締日翌日払い、現在は月末締め翌月10日払い)という、当社の方針は、私を含めてその日暮らしをしていた我々スタッフには外せない条件の一つだった。しかし、クライアントからの支払は30日・60日の後となっていて、その間の数十日は資金繰りを考えなければならない。ここが「資金の上限」までしか受注余力の無い我々小資本のアキレス腱となって今日まで至っている。
信用を積み重ねて、クライアントから仕事をたくさん貰えるようになってくると、「カネが無いので請けられない」というのは何とも残念な機会損失である。
積極的に請けて行き、資金を何とか都合してくるのは経営者たる私の大きな業務となった。苦しい姿を見せてはスタッフもお客様も離れてしまう。創業期から今まで水面下では私だけの闘いがあった。
大口のクライアントの支払が実は滞っていて、進むか手を引くか本気で悩んだこともあった。増資の資金の多くも未来の利益でなんとか埋めた。まさに毎月が限界までの勝負。モノポリーで云えば、「基本はレッドに家3軒オール」である。
そして8月。そう、去年も8月だった。本当に擦り切れるほどの擦れ擦れの勝負。会社の資金と自分個人の資金をギリギリまでつぎ込んで、最高売上を更新していく。そして思う。
「資金の壁さえなければ。」
開業時も、去年の今頃も。そして最近もこの時期には背中に冷ややかな汗を流すと共に、野望に突き動かされる。何件かの金融機関に声を欠け、それでも金融の厚い壁に阻まれる。
確かにベンチャー用の基金は創設された。昔に比べればきっと貸し渋りも少ないのだろう。だがそれでも思う。金融業会はアンフェアだ。彼らは結局事業を見ていない。無担保・無保証人を謳っている公共の創業者基金でさえ、最後の最後に来て「やはり第三者の保証人さんを立ててもらわないと」という話になる。
私は、創業者の代表経営者が会社の連帯保証人になるのは仕方が無いと思う。当社もそうであるが、創業期の会社であれば創業者の資金と会社の資金の垣根は非常に低い。当社のように個人資金を会社に全部突っ込むところもあれば、会社は赤字にして経営者だけ肥え太っているところもあろう。だから小規模であれば個人事業主とそうそう変わらないともいえる。
しかし、今でも金融機関が、包括根保障や第三者連帯保証を求めてくるのは、明らかに貸し手の怠慢であり足元を見た卑劣な融資であると私は考える。非道な包括根保障については今年から法的な保護ができてきたとはいえ、今回金融機関を回ってみて、根保証主義は変わっていないことを痛切に感じた。公庫ですら第三者に連帯保証人を立てさせるという審査無能力ぶりを未だに直そうとしていない。
私は実質包括根保証であれば会社の保証人になりたくないし、ましてや代表者である私以外の連帯保証人をつけてまで資金を借りようと思わない。気楽に「お父様かお母様に・・」と云ってくる融資担当者こそ恥を知ってほしい。私は自分とは関わりのない連帯保証人になるつもりは無いし、身内を含む誰かを連帯保証人に立てるつもりも無い。
私が望むのは、金融機関には、与信は貸出上限と利率で評価して欲しいという事だ。今回までの感覚では、私の回った金融機関から当社は評価されなかったが、私も金融機関を評価できなかった。しばらく当社の無借金経営は続きそうである。
さて、当社の資金余力は、およそ2年で60万強から450万。利益の積み上げでもこのペースを守るなら何とでもなる。しかし結果こそ上手くいかなかったものの、今回はどうしてもタネ金としての借入をしたいと思っていた。ここに書こうか悩んだが、当社のステークホルダーには知っておいて貰う必要があるだろう。
当社はおよそ1割から2割の金額を利益として一つの案件から抜いている。そしてその積み上げた利益で人を雇い、仕事を請け、拡大再生産している会社である。常に限界にチャレンジしているが、売上は当然月ごとに波があり、8月のように会社の余力を超えてしまうこともある。そうした場合、常に最大唯一の貸し手である、私の個人マネーを一時的に充当して資金不足を乗り切ってきた。そうやってなんとかここまで来れたのだが、この個人マネーを投入する自由度が今期以降著しく減ってしまう事になった。
原因は私のプライベートに起因している。
この出来事自体はめでたい事であるし、私人としてはタイミングも妥当で判断として間違っていないと思っているが、企業人としてはどんな理由があろうともここでの足踏みするというのは本当に残念である。残念だと思う。あと2年あれば。せめて1000万の余力を達成していれば。今回なんとかして、数百万の資金を借りる事ができれていれば。
しかし。残念ながら、一つの結論はでた。当社の資金需要に応えてくれるところは私を含め殆ど無くなる。私もこれからはどんぶりな資金繰りやギリギリの舵取りというものを赦されなくなる。良くも悪くも「変化」である。

経営をしていると、良くも悪くも個人単体であるよりも社会への影響が大きい。ことさら「社会責任」等を声高に叫ばなくても自然に、自分の会社はどのような社会との関係を築いていって、どのような社会を創って生きたいのか?というテーマを考えてしまうものである。
私は、「最小限の法を確実に守り、機会が均等であり、ルールで定められていない部分は皆が皆の優しさを信じる事のできる、共栄していく社会」が望ましいと思う。
シンプルに言えば、「リーガル・フェア・モラル」の社会だ。
この3つはどれが欠けても、ギスギスした過ごしにくい社会となる。一時期経営者の間では、「モラルか?インモラルか?ではない。リーガルか?イリーガルか?だ!」とグレーゾーンを法律武装して突っ走る傾向にあった。ほりえもんの立会外売買やそれ以降の第三者割り当て増資でも、違法でないことを良いことに利益を求めて突っ走った。
確かに違法かどうかは微妙な問題について、合法である制度を勉強し利用する事が悪いことだとは一概に云えない。とかく日本社会の経営が不勉強で癒着を基本としたアンフェアな社会であったことがそもそも悪かったのだろう。最近のモノ云う株主などもインモラルであるけれど、フェアな社会を築こうと法律をたてに従来の悪習をどんどん打ち破って世間から喝采を浴びている。
そして、重要度を考えても「リーガル・フェア・モラル」の順であると思う。まず違法であれば平等・道義で如何に筋が通ってみえてもそれは赦されない。また如何に和を持って内輪での助け合いの社会を目指しても、外部から見てフェアでなければ単なる癒着と捉えられても仕方ない。
そして、リーガルでフェアな社会下ではモラルを守って共栄できる会社・社会を創っていかなければならない。なぜならば、インモラルであれば当然規制する法律が厳しくなっていき、社会全体で適法であることが難しくなっていってしまうからだ。社会的にみんなで守れる法律というのは、小さく最低限であるべきだ。そのためには、法で囲われない部分はそれぞれが自主的にモラルをもって担保していくしかない。
さて、大きく「どんな社会を」を考えてみたが、実践するのは身近なところから始めていければそれでいい。まずは小さくとも自分の周りから。目標とはそういうものだ。

2005年9月12日

《自民圧勝》

なるほど。こういう結末もあるか。
意外であったが、それでこそ政治が面白い。
小選挙区制の意義についてそれほど自分では評価していなかったが、政権交代がありえるということは、これほどの与党圧勝も十分ありえるということだ。正直認識が甘かった。
衆院で3分の2の議席があれば、参院不可欠の案件も差し戻して衆院可決できる。つまりもう何でもできるということだ。事実上不可能と思えた郵政民営化再提出も実現可能になったわけだ。それだけでも意義としては大きい。続く改革も同様にやりやすい。良くも悪くも政治は大きく動ける状況ができたということで、良くも悪くもガンガンと変化を進めて欲しい。
さて、選挙が落ち着いたところであらためて争点となった郵政民営化についても考えてみる。
本来であれば、郵便と金融(郵貯・簡保)は分けて考えるべきだし、私としては郵便は国営でもいいと思う。不採算地域を民営企業がカバーするのは株主利益に反しているし、だからと云ってバッサリ切り捨ててしまっても良い問題ではないからだ。一方金融は途上国等では国営でもいいと思うが、成熟した資本主義社会下で国営でやるのは間違っていると思う。金融は民業ですべきだ。民主党が語っていたように、現在のままで民営化したら超巨大独占民間企業ができて、しかも筆頭株主が国になるアンフェアな自民党案ではあるのだが、私はそれでもいいと思う。第一歩が大切であり、不適切なものは当然市場や社会から避難を浴びるのでそのままでは存在し得ないからだ。本義では民主党案のように段階縮小してからというのが理想的であっても、拙速に巨大企業を作ってしまっても良いと思う。
ともあれ、郵政は民営化の方向で民意が取れた。民意であるからには、即刻実現すべきだと思う。野党も負けたからには潔く協力して欲しい。この上審議に時間を取られるようでは次期政権を担う野党としての存在意義を問われてしまう。民主党も今回の選挙の敗因を「郵政に反対したこと」と割り切って分析して次に進んだ方が良いのではないだろうか。既に反対するだけの野党に国民は付いてこないことは明らかになったのだろう。政策ごとに協力すること、修正すること、反対すること、党内の方向性を集めて決めていかなければなるまい。
特に、郵政以後とされる、財政改革と年金改革は待ったなしの状態だ。財政は各時代・各党の政策でぶれることは問題無いし、柔軟に変革していくべきだと思うが、年金を含む社会保障の問題は政権交代したからといってコロコロ政策が変わるようでは困るのである。与野党結束してどの政権下でもぶれることの無い長期に通用する政策を掲げるべきだろう。
さて、我々国民が政治に参画できる唯一の機会である選挙は終わった。私は私の周りの人達がどんな理由で何党の誰に入れても良いと思う。ただ最低限選挙には参加して欲しい。ここまで発展して我々が生活できる基盤を作ってくれたのも今までの国民が行ってきた政治のおかげであるし、こんなにも無造作に借金して今後の大増税を招いたのも今までの国民の責任である。
こんなにも借金まみれの国を残してくれた先人達には心底反省して欲しいと思うし、この難しい次代の舵取りを任せられた我々の責任も重い。私達は私達の子供や孫達に最低限責任を持つ身として、本当に最低限選挙には参加すべきであると思う。
今回は、多くの私の知人も選挙に参加してくれた。本当に嬉しいと思う。

7月、8月とは、当社にとって「スタートダッシュ」期間である。
6月末に決算が終わり、8月27日で創業日を迎える。云ってみれば、新しい期はスタートしているが、創業日までの○年目までは続いている特別な期間だ。
また、業界的に一番忙しく大きな売上が見込める時期であるので、その年を占う重要な時期がこの「スタートダッシュ」期間なのである。
6月から7月にかけて、受け皿となる拠点を増やし、人を入れ、事務作業を分担化し、2期の総括を行いながらもこの「スタートダッシュ」期間に賭ける器作りを進めてきた。あらためて、7月・8月の結果を見ると全員で歯を食いしばって戦ってきた成果は十分に上げられている事が確認できる。
当社が指標としている「売上」では、7月で360万、8月で450万程度の実績を残すことができた。2期の月間売上の平均が200万である事から考えても十分な数字といえるだろう。8月の450万などは、1期一年に相当する金額だ。一丸となって働いたスタッフの努力はきちんと数字になって表れているのである。
一方で問題点として挙がりながら、解決仕切れなかった事も「スタートダッシュ」期間で明らかになった。一つは「研修」の問題であり、もう一つは「財務」の問題である。
どちらも、急成長を前提としなければ普段それほど大きな問題とはいえない事案である。少人数ずつ人を増やすのであれば、じっくり育てるのは難しくないしコストも一度に大きくかかることはない。月間平均を大きく上回る売上を見込まなければ、資金が苦しくなることも無い。
その意味では、「スタートダッシュ」期が終わった今、急務では無くなってしまった事案でもある。しかし、ここで洗い出せた問題点を解決しなければ、次に「大きなチャンス」がめぐってきた時に、同じ問題点を抱えてチャンスを活かしきれないことは疑い得ない。
研修に関しては、コストをかけずに最低限のスキルを担保できるように現在も模索中である。また、財務についても、資金の上限により大きな機会損失を生まないよう、事業計画の策定や融資の話をまとめに走り回っている途中でもある。残念ながら、どちらもこの「スタートダッシュ」には間に合わなかったが、失敗を真摯に受け止めて引き続き全力で対策を考えていきたい。
ともあれ、本格的に始まった3年目。まだまだやりたい事は山ほどあり、やらねばならない事はそれ以上にある。全力を持ってあたるので、引き続きよろしくお願いいたします!