2005年11月29日
この前の講演の感想を読んでいて学生時代を振り返る。
そうそう。あの頃は社会というものは、もっと合理的で効率的なものだと思っていた。もう少し云ってしまえば、もっとキチンとしていて自分などでは通用しないのではないかという不安があった。
しかしながら自分が就職してみてまず感じた事は、大学時代との人的レベル・インフラのギャップであり、不条理で泥臭い「社会の現実」の存在だった。自分は通用しないどころではなくて「普通」のレベルはこんなところにあるのだ、という率直な驚きだった。
営業現場ではいわゆる研修体制・管理体制などはまるで無く、個々人が何とかして日々の業務をまわしている現実。非常識な業界の常識。
とにかく社会人一年目は新鮮だった。
あの頃から今まで、私の中では一つの目標がある。それは「普通である事」だ。大学生から見て普通である事。一般社会から見て普通である事。ともすればそれは、素人が唱える「理想」の姿かもしれないし、サービスを受ける事に慣れすぎた若者が主張しすぎる「権利」の姿かもしれない。
証券時代のサービスもまさに「普通できて当然」を創り上げる戦いであったし、現在も「普通の会社」を目指して階段を上がっている最中である。多くの人が関連する組織で、資金や制度で制約を受けているとしたら、そして責任のある立場で組織を構築する立場にあれば「普通である事」は外から見た感じ以上に難しい。
コンプライアンスを声高に叫ぶ前に、まずは普通である事。これができないから、ミスやチェック漏れが集積して、社会を賑わす不祥事にまで発達した挙句、ユーザの心証を害する対応をして問題を増長させたりしてしまうのだろう。
業界の空気が読めない人間にビジネスはできないが、世間の空気が読めない会社には社会責任は果たせない。私の会社運営の軸足は私の持っている「普通」を追いかけるところにある。