2006年1月20日
経営者や政治家が市井の感受性を忘れない事は重要な事だ。
責任者として、あるいはその道のプロフェッショナルとして世論とは一線を画した冷静で的確な分析や処置方法というものがあったとしても、客観性というものは時として世の多数を占める素人の感受性が形成する事実を忘れてはならない。
今回のライブドア事件にしても耐震構造事件にしても、専門的に「適法」とされてきた手法もマスコミによって黒側と判断されたら最後、世論の勢いもあいまってたちまち違法行為とされてしまう。
法律やシステムに抜け道があるのは仕方が無い。法律の専門家であってもその業界の専門家ではないし、システムの設計屋であっても自分がシステムを使った実作業を行う事はないからだ。
当然現場では、「違法行為でない必要行為」「システム想定外の特例決済」というものが頻発するようになる。この部分はグレーな行いという事になるが、実行側では「違法」でなければ適法と判断するし、「システム想定外」であろうとも必要であれば実行に移す。一方判断を行う司法や行政、今回では立法府もであるがそういった国の機関やマスコミ、世間一般では、グレー部分の白黒決定権は法的論拠によらず感じたまま行う。
我々経営者は「適法である限りの経済合理性」を求めてはいけない。
社員であればどう感じるか?
出資者であればどう感じるか?
お客様はどう感じるか?
行政はどう感じるか?
第三者から見ればどう感じるか?
彼らの感じている「普通」は経営の感じかたと差があるのはもちろん、それぞれのグループ間でも大きく異なる。「普通」の軸足は誰もが自分で考えているほど常識ではない。
彼らの感性によるジャッジは「合理的かどうか」ではもちろんないし、「合法か違法か」でも無い。だから経営者は「コンプライアンス」を軸に経営判断をしてはいけないのだ。もっともっと手前の部分で、判断する人の感性を基準にセーフゾーンを作らねばならない。
経営者には、様々な立場にいる人やグループの感性を受信する能力が不可欠になる。
「人とは違う事をやれ!」に代表される、革新的な事はセーフゾーンを踏み越える必要がある。グレーゾーンを白く塗り替えていくためには、関係者の「共感」を得ていく必要がある。
「リーガル・フェア・モラル」で、モラルの部分は一番難しい。感性は線を引く事ができないからだ。時代や立場で刻々と変化する不定形のモノを感じ取る能力、あるいは引き込んでいく能力が必要になるのだ。