2005年9月14日
経営をしていると、良くも悪くも個人単体であるよりも社会への影響が大きい。ことさら「社会責任」等を声高に叫ばなくても自然に、自分の会社はどのような社会との関係を築いていって、どのような社会を創って生きたいのか?というテーマを考えてしまうものである。
私は、「最小限の法を確実に守り、機会が均等であり、ルールで定められていない部分は皆が皆の優しさを信じる事のできる、共栄していく社会」が望ましいと思う。
シンプルに言えば、「リーガル・フェア・モラル」の社会だ。
この3つはどれが欠けても、ギスギスした過ごしにくい社会となる。一時期経営者の間では、「モラルか?インモラルか?ではない。リーガルか?イリーガルか?だ!」とグレーゾーンを法律武装して突っ走る傾向にあった。ほりえもんの立会外売買やそれ以降の第三者割り当て増資でも、違法でないことを良いことに利益を求めて突っ走った。
確かに違法かどうかは微妙な問題について、合法である制度を勉強し利用する事が悪いことだとは一概に云えない。とかく日本社会の経営が不勉強で癒着を基本としたアンフェアな社会であったことがそもそも悪かったのだろう。最近のモノ云う株主などもインモラルであるけれど、フェアな社会を築こうと法律をたてに従来の悪習をどんどん打ち破って世間から喝采を浴びている。
そして、重要度を考えても「リーガル・フェア・モラル」の順であると思う。まず違法であれば平等・道義で如何に筋が通ってみえてもそれは赦されない。また如何に和を持って内輪での助け合いの社会を目指しても、外部から見てフェアでなければ単なる癒着と捉えられても仕方ない。
そして、リーガルでフェアな社会下ではモラルを守って共栄できる会社・社会を創っていかなければならない。なぜならば、インモラルであれば当然規制する法律が厳しくなっていき、社会全体で適法であることが難しくなっていってしまうからだ。社会的にみんなで守れる法律というのは、小さく最低限であるべきだ。そのためには、法で囲われない部分はそれぞれが自主的にモラルをもって担保していくしかない。
さて、大きく「どんな社会を」を考えてみたが、実践するのは身近なところから始めていければそれでいい。まずは小さくとも自分の周りから。目標とはそういうものだ。