2007年9月7日
我々は職種上、多くの会社や多くのプロジェクトを見てきたため、現在参加している仕事の顛末がどのようになるのかが予測できるようになっている。それは、危ない橋を避ける意味でもとても意味のあるノウハウだと思うし、提案を入れてもらえれば充分にプロジェクトを成功まで導く事も可能だと思っている。
これらの「予測」というスキルはプロジェクトをマネジメントする上では必須スキルであると思う。しかしながら、現場を掌握していない人間ではどうしても鈍ってしまう。
現在のサービスは求められているものが多様化している。情報保護であったり、法令遵守であったり、お客様常識レベルのクオリティであったり。もちろん従来どおり納期やコストについても意識して取り組まなければならない。
何かについて完全を目指し行き過ぎた取り組みをしてしまうと他の事が疎かになり、そのプロジェクト全体は崩壊してしまう。現場を離れたプロジェクトリーダの良かれと思った施策の「予測」の鈍さが納期を大幅に遅らせたり、品質を大幅に悪化させたり、作業員に次々と逃げられたりする結果につながってしまう。
私が見る限り、マスコミが安易に喧伝する「手抜き」を行っているわけではなく、むしろ一生懸命に取り組んだ結果、大失敗につながるケースのほうが最近は多いのではないだろうか。
では、マネージャの予測能力を上げるにはどのようにしたら良いだろうか。一つは徹底した現場の把握。机上の予算や人・モノのやりくりをしているだけでは、仕事の本質をつかめない。上がってくる報告だけを鵜呑みにしては大切なものを見失ってしまう。もう一つは現地担当者の意見をきちんと聞くことだ。木ばかりを見て森について考えられない技術者の意見は取り上げにくい事が多いかもしれない。しかし現場一筋の視点から思わぬ発見があることも少なくないし、マネジメントを理解する現地作業者がいれば貴重な判断材料になるだろう。
一方で作業者も「予測」のスキルを磨く事を疎かにしてはいけない。目の前の作業をカンペキに仕上げようとするあまり、全体の進捗から外れれば多くの人に迷惑をかける事になるし、作業を急ぐあまり報告や連絡を疎かにしたらサービスのクオリティにどのような影響が出るかと考えねばならない。
結局は「予測」する目を曇らせてきたのは、現場とマネージャが離れすぎてしまっているからなのだろう。セクショナリズムに陥って、部分的にカンペキを求めだしたときに、プロジェクトは燃えてしまうのだ。
2007年9月7日
ある程度、という成功を収める事は難しくないと思う。
家族を養っていける程度、或いは、家業よりももう少し広く事業として自分のスキルを活かす程度のビジネスを展開する事は充分に可能だと思う。
実際今やっているうちのビジネス規模というのはそのくらいで、マスコミが喜びそうな波乱万丈の展開も無かった。
もちろん事業として会社を背負う以上、気の進まない仕事であっても責任を持って取り組むという姿勢はもちろん大切だと思うし、人間関係を捌く力量も求められていると思う。
この上の大事業みたいなものに発展していく為には・・とふと考えてみた。当然もっと社内政治みたいなものにスタッフ全員が長けていく必要もあるだろうし、技術や品質といったものに磨きをかける事も必要だと思う。
しかし何よりきっとポイントになるものは、「バックボーン」になる何かとそれを受け入れる経営者の「器」ではないだろうか。
バックボーンと呼ばれるものは、大きな仕事を安定的に依頼してもらえるお客様かもしれないし、ベンチャーキャピタルのような大資本かもしれない。或いは誰もが飛びつきたくなるようなキラーコンテンツかもしれないし、優秀なスタッフを無限大に供給してくれる人材協力会社かもしれない。
バックボーンになりえるこうしたものは宝くじのような確率でしか出会えないものだろうか?
経営に携わった人であればきっと「チャンスは頻繁に訪れている」と感じるのではないだろうか。思うに大きなバックボーンはたくさん見かけるのだけど、それに付随するリスクもやはり大きなものなのだと思う。
抜群の信頼感。高いスキル。このあたりは大事業をする上で最低ライン。
大切なのはバックボーンを手に入れられる器があるかどうか。資本を抑えられると乗っ取られるかもしれない。一極の大口顧客やキラーコンテンツに頼る経営はノルカソルカの世界かもしれない。
結局はリスクリターンだと理解していても、やるかやらないか、正しいか間違っているかというのは、最終的には経営者の器次第。
大事業を手がける事にどれだけの意義を感じるかは人それぞれだと思うけれど、自分の可能性を試してみたいと思ってしまうのがベンチャーを率いる経営者のサガなんだと思う。
2007年9月4日
最近、色々な採用面接をする機会がある。
自分自身面接される立場では上手に振舞う事なんて出来ないのだけど、これは最低限・・というのはお互いに守れたらいいなと思う。
例えばアルバイトの面接であっても、Tシャツ・短パンなどで来ない。
電話受付の女の子であってもぞんざいな口をきかない。印象については最初に電話をとった人に聞くことも多いので、そこで悪いイメージが着くと損だと思う。
話す事と聞く事の割合をなるべく等しくする。一方的に話したり、何も自分の事を語らなかったりでは会話になりません・・。
私は条件などで譲れるところはできるだけ考慮したいと思っているけれど、だからといって我侭放題自分の事ばかり考えている人が好きなわけではない。面接では当然自分のニーズにあっているかを確認してもらってかまわないけれど、相手の事を思いやれないのでは一方的な主張になってしまう。
募集をかければ何人でも集まっていた頃、自分は一方的に話している事が多かったと思う。働き手が職場をかなり自由に選べるようになった今、一方的に○○って事が多くなった。わざわざ遠いところ来て頂いて本当に恐縮なんだけれど、協力してやって行こう!という気持ちがベースに無いとお仕事任せられないよ・・。
そしてこれは最近本当に良く思うことなんだけど、丁寧に話す事はとても大切だと思う。けしてガチガチの敬語や美しい日本語などを意識する事はないのだけど、優しさを感じさせる話し方は大切だと思う。ご年配の応募者の方は「です。ます。」を意識して話すだけでも印象がガラリと変わるので是非試して欲しいです。私は、私自身にどう接してもらってもいいのだけど、お客様にはきちんと話の出来る方を採用したいと思う。
今日は久しぶりに事務所に張り付いて仕事できて保留事項を埋めることができた。いい人を少しでも確保して、会社をしっかり回していこう。
今週は可能な限り面接の機会を作ろうと思う。いい出会いがありますように。
2007年8月29日
仕事をやっている上で、自分とは合わないって感じる人はたくさんいる。
いつも正しいか間違っているかという単純な二元論で片付けたくなるけれど、人ってそんなシンプルじゃない。
仕事をする上では、色々な考え方の人を受け入れなければならない。
コンプラがどうの、お客様第一がどうの、と自称「正義の使者様」がどれだけ叫んでみても、家族の死に目に会えないような会社の指示には従えないのが一般的な営業マンだし、平日フルタイムで働いた上で土日に倒れるまで働けといわれても、そりゃお客さんより健康の方が大事だよといいたいのが真っ当なヒトの意見だと思う。
思うに最前線で働く誰かが「ちょっとこれは」と思っているのは、管理者がまともに一生懸命やっていると自己評価している場合が殆どだと思う。
自分自身振り返ってみても反省するシーンが多々あるし、正しさを盾にしているときほど求めている事はヒドかったりする。
どうだろう?
正しいと思っている事で、誰かを苦しめていないか?
自分は正しいと思って、皆から実は、声も聞きたくないと思われていないか。
振り返って自分は・・と考える。
唇をかみ締めて血が出るほど悔しい思いをして、人に優しくありたいと心から思う。二連徹した後でオフにすると周知した後、一杯のビールを飲むときになり続ける電話を心からイヤだと思う。休ませて欲しい。ほんの少しリフレッシュしたらきっとずっと頑張るから。怒らないで欲しい。皆ひっしに頑張って、結果思うように行かないとしても。
正義の使者からの連絡は。
胸に痛い。
正しさはきっと優しくない。