2007年11月6日

社長室

今日仕事をしている中でお客さんがNOVAの社長室の話をしていた。
管財人が会社私物化の社長室を象徴として公開したということなのだが、ニュースで見る機会がなかったので、ちょっと調べてみた。
なるほど、確かに豪華な社長室だけれど日本のトップ企業の社長室としてみればそれほど違和感のあるものだろうか?
こういうものに憧れてリスクをとってきた経営者もそれはそれで正しいモチベーションのあり方だと思うし、もしきちんと会社の利益を上げてきてお客さんも社員も満足している企業のトップであったとしても清貧でなければならないものだろうか。
起業家という人達は、「社会に対して大いに貢献したい」という気持ちをもちろん強く持っているだろう。
しかし、個人的な野心もあって良いのではないか。
自分を振り返ってみても、創業して一年は全く役員報酬を会社からもらわず貯金を食いつぶしながら会社に増資してきたし、今でも会社の借金の連帯保証人にもなっている。
大きいリスクをとってチャレンジする創業者が成功を収めた状態まで純然たるボランティアや正義感だけで経営しなければならないとしたら、この国のベンチャーの芽は絶対に育たないだろう。私自身だってリスクに対してリターンがフェアに見込めないならどれだけ正義に基づくビジネスだとしてもチャレンジしようと思わない。
現在のNovaの社長室の一点だけで「豪華すぎる社長室」と非難するのはどうもいただけない感じがする。
社長の価値観というのは当然さまざまだと思うし、会社の価値観もそれぞれだと思う。どこまでを会社のお金でやるのか、個人のお金だったら何をやってもいいのか、と考え出したら配当や報酬も含めて、立場によっていろんな考えがあるだろう。
一代でとんでもなく成長する会社のトップであれば、とんでもなく貪欲であったとしてもそれ程不思議ではないと思う。
またディフェンスを考えるタイプの経営者なら存亡を賭けた大きな博打を何度も打てないだろうからやはり想像以上の成長というのもありえない。
つまり、大きな買い物や大きな投資ができないようなタイプの人では大きく成長もできないし、大博打を打つ人でなければ想像の域を超えたビジネスチャンスは掴めない。
だからあの社長室をみて豪華すぎると感じる人は、リスクに対して感度の薄い人だろうし、利益の分配の仕方を少し変えて私費でやればよかったのにと感じた人は、バランスの取れた普通の人なんだろう。
普通の人は普通で良いと思うけれど、チャレンジする人に寛大な社会であってほしいと思う。
少なくとも忙しくなると会社のソファーベットで寝ている私からみたら、寝室やサウナはうらやましいし、24時間働きまくる事を考えると社長室にそういった設備があっても私的利用にはあまりあたらないような気がする。

2007年11月4日

担当者交代

昇進したり、転勤したり、転職したり、なんとなく山に帰りたくなったり。
親しく付き合ってきた担当者が変わってしまうのは残念だけど避けられないことだ。担当が代わる時には、今までの担当者から新しい担当者に、これまでの取引やサービスなどの引継ぎを行い、最後に当社まで担当変更の挨拶にやってくる。
しかしながら、クローズした商品やサービスの結果だけではなくて、その過程で決めていたことや細部までは当然完璧には引き継げるはずも無く、自分が忘れてしまったら「アレ、どんなふうだったっけ?」というちょっとしたことを気軽に聞ける引き出しがなくなってしまう。
業務の大切なバックアップが一つ無くなる感覚。これはちょっとした喪失感だ。
自分の会社の事情等も時間をかけてゆっくり伝えていって、ようやく阿吽の呼吸でニーズを引き出してもらえるようになったときに、新しい担当者になればまた初めから教えていかなければならなくなる。自社用担当者として育成してきた時間がゼロに戻されてしまう感覚。これも結構ズシっとくるものだ。
残念なことは残念だけど、それは企業間取引での宿命みたいなもの。
どうせ担当者がリフレッシュしてしまうならこちらもあわせて新規に担当者を変えてしまうといいかもしれない。これまでとは違う視点での取引も必要だと思うし、こちら側の担当者としても、自分の担当さんとはやはり最初から付き合いたいと思うものだから。
しかし。こんな半端な時期なのに、担当者の交代が続く。不思議だ。

経営者にとって利益に直結しない買い物は必要であっても中々手を出しづらい。
間接的に必要であったり、未然にリスクを低減するものであったり、必要性そのものは理解していたとしても、現実に今何とかなっているものは後回しにしてしまうものなのだ。
さて、この手のものを買う気になるのは、どんなときだろう。
一つは現実感を持って必要性を認識したとき。「充分に起こりうる」という物に対策を打たない人はいない。
一つは決算前などで利益やキャッシュの余力を確実に確保できる自信があるときだ。見える時は手をつけやすい。
後はなんと言っても手間がかからないこと。
何度もあって相談して・・とか、押印してファックスを返送・・とか、時間的にも空間的にも手間がかかるのはやりにくい。やはりメールの授受で詳細まで詰めて、契約時やその一歩手前くらいでフェイストゥーフェイスで確認する。そこまで持っていけないとなかなか。
利益に直結しないものも、要る時にはしっかり買う。必要な体制は整えないとね。

2007年10月26日

無料の裏側にあるもの

日経BPネットの猪瀬さんの記事「タダは国を滅ぼす」を読んだ。
企業の無料のサービスの場合、裏側には収益を得られるシステムがある。
何かを無料にして参加者を増やし、関連する他のもので採算化を計る。フリーペーパーだって、ミクシィだって、携帯の端末だって、きちんと裏側には戦略があった。
しかし国や公共サービスの「無料」には考えが無いことが多い。採算化は無理だから増税しよう。増税すると選挙に負けるから曖昧にして未来にツケよう。
政治家が悪い、官僚が悪い、マスコミが悪い、と、悪いもの探しをしていて他人のせいにして自分達は正当な対価を払う感覚を忘れてしまっているのではないだろうか?

2007年10月24日

ブレーキ

車やバイクをより早く走らせる要素としては、アクセルよりもブレーキの方が重要だ。単純に踏めばスピードのでるアクセルとは違い、制動には細かいテクニックが要る。そして何より早く走る為のブレーキには勇気が必要だ。
成長街道を突き進もうとするベンチャーにとってもブレーキを意識する事は大切になる。
ブレーキ、というと成長の先にゴールを見据える経営者としては、どうしても嫌な響きに聞こえるのだけど、実力に合った評価、体力に合った成長は、急拡大や急成長よりも確実にゴールへの最短距離を進む事になる。
誰しもが「期待に応えたい。誰かを守る為ならば。」とアクセルを踏み続けてしまうところに、ブレーキをかける判断は勇気がいる。何かの要因によって拡大し続ける事を義務付けられた組織には、止まったり退いたりする事が認められなくなってしまうのだろう。
赤福を始め、現在騒がれている食品関係の不祥事は、アクセルを踏み続けてブレーキを踏めなかった結果かもしれない。
マスコミの報道のように「利益や会社業績の為に法律を無視した」と断罪する事は容易いと思うが、経営者や従業員達がブレーキを踏めなかった理由をきちんと調べる事が大切だと思う。
その上で、あるべきタイミングでのブレーキの踏み方を、我々経営は学ばなければならない。
ベンチャーもそろそろアクセルだけ踏んでいれば脚光を浴びる時期から抜け出さなければね。