2005年1月25日
2005年1月24日
師について考える機会があったので、プレジデントルームにも書いてみよう。
私が自分から得心して師事する人間というのは、学生時代にはついにあらわれなかった。
師は自分と同じ志を持ち、何よりもその意気をもって範を示す人物であって欲しい。私が師事する漢は、コスモ証券時代に現れた。
証券時代、大阪にいた頃、日々の業務が終わって社員が帰っていく中、私は一人でデータを収集し、分析し、新しい企画を練り、トラブルの対処法を探っていた。毎晩遅くまで、自分の周りにのみ明かりが灯り、それでも仕事が楽しくて仕方が無かった。
東京移転が決まり、移転後その業後のあり方が変わる事になる。うちの部の隣の部屋にも明かりが灯っており、そこでも自分と同じ様に、会社を一歩でも前進させるため一人黙々と業務を行う漢がいた。彼こそが我が師、松崎師匠である。
http://www.rikunabi2005.com/RN/05/KDBG/06/0028906001/DETAILA/I001/2p.html
彼は云う「セクショナリズムなど無い。」管理本部出身の師は、管理としてのバックスタッフ業務も一流でありながら、別枠で会社全体のフロントシステムの構築者として営業の声をそのままシステムに出来るエンジニアでもあった。また、その副産物としてデータベース構築を一人で行い、CRM戦略の会社における第一人者でもある。オンライントレードの部署でも彼の協力を得て掘り起こした顧客の数はすばらしい量に上る。
何よりもあの会社の中で私を理解してくれる数少ない上層部でもあった。あるとき、営業の新人を統括する立場の人と一緒に飲みに行ったときに、意見の食い違いからその人を怒らせる結果となった。その人も尊敬していた人であったが、絶対に退けない内容でもあった。そして、彼にとっても絶対に退けない内容であることも理解できた。最後に「社会に出て数年の若造に何がわかる。俺の言うことはわかったのか!」と、頭ごなしに怒鳴り、その場はお開きになった。
冬だった。飲んだ後、気まずくなって外に出て帰ろうとした私に、師がトントンと方を叩く。
「おまえの言いたいことはわかる。だがあの人も自分の仕事に誇りを持っているし、だからこそ退けない事があるんだ。今会社に、自分に何もメリットの無い会社の事を思って仲間と喧嘩出来るやつが何人いる?わかるよな?彼は、すばらしい人間だと俺は思う。そして、会社を思って泣けるやつも俺は誇りに思う。」
気が付くと私の目からは大粒の涙が溢れていた。何に心を動かされての涙かはわからないが、自分の気持ちを汲んでもらえる師の優しさがただうれしかった。
師とのエピソードは、泥臭いものも数多い。あるとき、「A社がはじめたあのシステムは、うちに導入できないのか?」と師が私に問う。部長に上げれば、システム企画部に上げ、出来ないと返事をもらい、それで終わる。
だが、私達は違った。「前半の3分の1は現行のシステムを使えばいけます。そこから先は手動になりますが、うちでここまでは作業できます。監査が入るかもしれませんが、他社で前例があるのでいけると思います。これ以降は管理側の作業になりますが、ここはおねがいできますか?」「ここまでといわずに、あそこの段階からうちがやる。その代わりここまでやれよ?」
師匠からの要求は厳しかったが、毎日遅くまで残ってうちの業務の範囲内の事をやっている師匠の姿と見ると、「できない」とは云えなかった。
彼は、他社が普通に出来る事が自分達に出来ないと思う事が我慢できなかったのだろう。私もそうであった。基準にしていたラインが会社内ではなく、世間の常識にあった。そのため、多くの社内の常識を打ち破っていく必要があったのだ。
師は常に云っていた。「絶対に負けない。」
そういい続けて戦い続ける姿は今でも鮮明に覚えている。辞めるときに一番言い出し辛かった相手も師匠である。厳しさも優しさも彼の背中から学んできた。起業する前にサラリーマンをやっていて良かった事は偉大な背中を見る事が出来た点にあったと思う。
そして私も誰かに誇れる背中を見せられるようになりたい。
2005年1月23日
「And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you、ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man. 」
ケネディの大統領就任演説の一部である。自分の国の自由だけを他の国に爆撃してまで押し付ける今のブッシュに比べると本当に気高く心を打たれる名言だと思う。
簡単に約すと、「我が同胞のアメリカ人よ!国が貴方に何をしてくれるかではなく、貴方が国の為に何が出来るかを問おう。我が同胞の世界の市民よ!アメリカが貴方に何をしてくれるかではなく、我々と共に人類の自由の為に何が出来るかを問おう!」と云う感じか。
組織が個人に求める姿はこのようで在るべきだと私は思う。
2005年1月22日
友人がそばにいてくれると感じるのは、携帯電話やネットのおかげなのだろう。学生時代より自由に使えるお金も増えたので、都合さえつけばいつでも会いにいけるという気持ち的な側面もある。
このように距離感を無くしながら気持ちを共有し広げていく事が出来るならば、広域でのビジネスも現在と同じようにそれほど距離を意識せずに出来るのではないか。
岡山からの帰り、新幹線での時間を空想の中で過ごした。思えばのぞみに自由席が出来て以降、一段と遠方が近くに感じるようになった。「全国規模」と呼ばれるまでにあと何年必要だろう。どんな特色を出していけば、地域に強くなれるだろう。
たゆたう想いの中で遊びながら、一日がまた暮れていく。
2005年1月21日
旨い魚と書いてスシと詠む。
母は吉寿司を三好で最も旨い肴を出す店として、その店に行ってはご満悦で帰ってくるのだった。以前より一度相伴に与りたいと思っていたが、本日念願が叶う。
大将は昔気質の毬栗頭、ネタには拘り、その目にかなったネタしか置いていない。本当に無いのだ。つまり季節のものであれば、その限定された季節しか置いていないし、「この前食べて美味しかったキハダ・・」なんていってみても、よいネタが入っていれば食べる事は出来ない。
旨い!と思ったのは、バッテラ。バッテラとは、そもそも私の住んでいる地域ではあまりなじみのない寿司ダネだ。モトは大阪の寿司だ。しかし、ここのバッテラを食べてしまった者はもはや余所では食えまい。一言、見事、である。
確かに、旨い。しかし、真に心を打つのは、一部の妥協を許さない板前のこだわりなのだ。そのような店には、利益を追わなければならない会社組織で運営されている寿司屋にはない独特の信頼感が在る。彼らはまず大前提として、自分のこだわりを裏切る事はできないのだ。「株式会社」にはなしえないサービスというものが彼らの中にはある。そしてそういったこだわりこそをよしとする顧客が今日も彼の心を信頼して、一つ舌の経験値を積むのだ。