2006年10月27日

高橋メソッド

さいこー
今日、プレゼンの資料の資料にあった中で最も受けた手法。
高橋メソッド!

2006年10月26日

アウトプットの機会

自分の考えていることや想いを多くの人の前で話すのは緊張する。
今日は、インターン生の報告会に行ってきたのだけど、自分も話す機会があった。
あれって、学生さんたちも緊張するんだろうケド、慣れていない企業担当者だって緊張するんだよ〜。
しかしまぁ、あれは慣れが全てなのです。
来月の給料日後には、プライベートのでっかい主役クラスイベントがあるから、舞台慣れするいい機会になったねぇ。
思うに学生のマジックをやっている頃のほうが今よりもヨッポド舞台度胸があった。今は・・うーん。うーん。硬い。表情も、表現も。
もうちょっとアウトプットの機会を増やさないと、やっぱりかっこ悪いな。
久しぶりにインターンで来ていた子とも話せたし、リフレッシュできた一日。さぁ頑張っていこうか!

2006年10月26日

《新しい試み》

新しい試みに失敗はつきものなんだけど、走り始めて失敗続きだとどうしても不安になる。
強引に進めたけれど、ホントによかったのかなぁとか、攻めるならもう少し体制を整える準備が必要だったんじゃないかなぁとか、思い始めるときりが無い。
ふと思う。
うちのサービスは人がベースだ。
今まで管理が楽々だったのは、スタッフ個々のレベルがある程度担保されていたからだ。ニーズとして「増員」が求められているのは分かっているけれど、ワンランク許容範囲を落として広げると、管理にかかる手間は何十倍にも広がる。
たとえばウェブ上での方向ができない。たとえば一人で初日お客様への挨拶に行けない。たとえば最初から「覚えられない・難しい」と思い込んでいる。
最近、自分がオーバーワークになっているのは自覚しているのだけど、せっかく走り始めた試みというのは、手を引くのがとても惜しく感じる。
去年のオオサカもそうだったなぁ。
デモ、タダマイニチガマワルダケジャ・・・
足元から一歩一歩と言い聞かせながらも、一方でそろそろアクセルを踏んでもいいのでは?もしかしてビックチャンスをスルーするのでは?という気持ちも強く残る。
せっかくお仕事のご依頼をたくさんいただけているのだから、見ているだけじゃあまりにふがいない・・。

2006年10月20日

《書く事》

指示や伝達において、「話す事」と双璧をなす重要能力は「書く事」だと思う。
私の文はよく「長い」といわれるのだが、同時に「用語が難しすぎる」とも云われる。「簡潔にわかりやすく」はずーっと昔からの主要なテーマだ。
それはそうと、私だけではなくて多くの人は「書く力」というものが非常に弱くなってきているのではないだろうか。
SEの作る手順書は年々わけ分からんものになるし、ちょこっとした文章を作るのでもやたらと時間がかかっていたりする。
読んで欲しいものがとばされていたり、趣旨が伝わっていなかったり。
我々も「書いたでしょ?送ったでしょ?」という前に、このメールがホントに作業する人本人が見て内容がわかるんだろうか?変更点があったとしたら、どこが変わったか伝わるだろうか?
という部分をちゃんと詰めていかなきゃいけない。
ミスは、往々にしてそういうことを疎かにして一方通行にしてしまうから起こるのだと思う。気をつけないとね。

2006年10月20日

クレームの対応

「社長になると責任を一身に背負うことになって大変でしょ?」
という話をよく聞く。
うーん。大変だけど、責任が取れる立場というのはとても楽なものだと思う。
自分が前の会社にいて、一番つらかったのは、自身の誠意と会社の方針が食い違ったとき、そして会社の方針が何度も転換したとき。
何か問題ごとが発覚した場合、トップのとるべき指針としては、
1.まず結果責任、生じたことについて誠意を持って謝る。
  原因が自分達に無かったとしても、「謝り損」はないのだし、結果についてきちんと受け止めることが関係者を大切にしていることにつながるから。
2.そして、原因は徹底的に詰める。その間は軽はずみなコメントをしない。
  何度も見解を翻すと結果的に「コロコロと云っている事を変える人」と云う事で、発言に信頼を置いてもらえなくなる。
3.一方、経過報告は確実なものから早めに発表する。
  「何もしていない」と思われるのもマイナス要因になる。2番と相反する事もあるのだけど、わかった事実はどれだけ悪質であったとしても隠さず出す。ここの報告部分で影響を考えてはいけない。
4.総括する。会社としての方針が定まったら総括を行う。全てを納得させることは困難だが、誠実であることとフェアであることを一義とする。反省を通して改善すべきところは改善していく。
こんなところだろうか。
ミスやポカに関しては、影響が深刻でもフェイルセーフを考えたりコストとのバランスを改めたりすることで対応もできるし頑張りようもある。
困るのは道義的に悪質なエラーだ。これは反対に些細な事でも見逃してしまうといづれはドえらい事になる。これは絶対になる。
企業体としてはつらいし、説明することで確実に評判も落ちるけれど、誠意を持った自浄がはかれないのでは救いようが無い。
と、書いて見たものの、やはり自分で「誠意を持って謝ろう」と思って、それがそのまま会社意思というのは、とても楽だと思う。