2005年3月22日

《監督》

往年の名選手がそのまま名監督を意味するものでないことは、一般的に知られることであろう。
そう。プレーヤーとしての能力とマネジメントとしての能力とは別のものであるからだ。
プレーヤーを長く続けたからといってマネジメントができるようになったとは云えない。
こんなシンプルな関係を日本企業はずっと見誤ってきた。それが年功序列という考えだ。
考えてみればこの「無能上司生成システム」はようやく今になってヤメようという姿勢が打ち出されつつある。
さて、一方でマネジメントを司るものが現場を知らないで指揮を執ることが可能だろうか。
これは100%不可能であると言い切っていい。
管理するものが、時間や金や物であるときはまだその人物の資質でカバーできるが、こと人に限っては現場を知らないでその管理を行うことは不可能である。
年功序列はまだよい。名選手が名監督である可能性というものはいつでも残されているのだから。
この現場を知らない監督というのは、最悪である。
今、日本企業のマネジメントは名選手からのなりあがりを脱却して、現場を全く知らないド素人に託されつつある。