2016年5月10日
少しばかり創業のお話し。
2003年6月のコスモ証券を辞めた後、東京から実家に引っ越した。
完全にニート状態だったし、親には早々暫く家にお金を入れる気は無いので、とダメ男宣言をしていた。
当時創業を志していたので、できるだけ安い家賃とできるだけ安く創業支援してくれる会社を探した。
何社か調べて、訪問して話を聞き、「白扇株式会社」のサービスを使うことに決めた。
当時、レンタルオフィスという概念が走り始めたころで、秘書代行や創業支援というものをセットで行っている会社は貴重だったし勉強にもなった。
白扇の社長は、久保田ジュンさんで、私より少し年上なので、当時30代前半の新進起業家だったけれど、経営経験豊富でやり手オーラが出ていた。
手続きは主に専務(現ひまわり丸の内労務オフィス)の水野さんが行ってくれていた。
創業のあれこれを考えるのは楽しかった。
事業計画と呼べそうなものは全然なくて、捕らぬ狸のなんとやらを胸いっぱいに夢想した。
操業日は誕生日の8月27日にした。決算は会社を辞めた6月に設定したので、一期はちょっと短い。
あれやこれやしようとして、全然食べられなくて、それでもニートな自分は恥ずかしいというのもあって、グッドウィルに登録した。
グッドは一般軽作業派遣の他、テクニカルサポート(TS)の部門もあって、そこで今の仕事の原点の仕事を経験した。
グッドの作業は中々に過酷でよくわからず、外国人労働者が集う工場ラインで看守っぽい人が永遠に怒鳴り続けている携帯工場で手が抉れるかと思うような単純作業をやってみたり、
集合場所にスーツで行ったらリーダーが破れまくりのジーンズで来ていて、お客様に叱られてリーダーが追い返され何をするかわからず一日中ただ立っていたりとか、
仕事すっぽかした人の代替え要員として、何するかもよくわかんないまま現場に赴き、お客様からあきれ果てられたりした。
それらの仕事は、本当に色々考えさせられて、自分ならこうするのにな、もっと上手にできるのに、って思うようになり、結局それが現在のメインビジネスになった。
第一期は、年商420万円。自分一人の給料ならまぁまぁだろうけど、既に今のコアメンバーになっている作業者が4人ほどいて、アルバイトみたいな収入だった。
決算書の販管費の役員報酬見てもらうとわかるように、この一年は自分の会社からは経費だけ貰って貯金を食いつぶして過ごしていた。
グッドの他にも登録していたりして、個人的な収入はそっちが中心だったし。
27歳の誕生日創業だったから、なかなか濃い一年で何よりも、自分で自分の看板作って稼ぐってのが楽しかった。
しかし、そうか。振り返って420万って、今の年商の100分の1だものね。恐ろしい少なさだ!
でもまぁ、創業期ってそういうものだと思う。